強い女
女の子だからといってヨワヨワしていたりメソメソしていたり何かというと他人を頼りにして愛しいと思われてみたりそんな子である必要はないのですよ助けてやりたいとか庇ってやりたいとか守ってやりたいとか男にとってはいい気分だろうけどそんなもの 美徳でも魅力でもありゃしないいいかい 女の子だって強くってもいいんだよ粗雑であったり乱暴であったり不行儀が平気は困るけどちょっとした挨拶の誠意と心地よい微笑の会釈と問われた時にハイと答える意志さえ感じさせれば強くっていい男は自分が弱い者だから縋りつく子を抱きしめるがそんなのは三日だけの愛しさあとは 只の重荷になる傷つけないようにハッキリと言い侮辱を感じさせない態度をしたらあとは 自由に生きなさい強く生きなさい自由で強くてやさしい子を凛としていると言います凛とした女の子になりなさい凛とした・・・近頃いないのです「凛とした女の子におなりなさい」 阿久悠
これを読んで感銘を受ける人が多いだろう。しかしわたしはどうしても圧迫感を感じてしまう。書いたのが男性というのも由来するのだろうか。いや、そうでなくても強い女像を押し付けられているように感じてしまう。強く。強く生きなければ。わたしは幼い頃からどこか自分を強い女にしようとする節があった。感情を表に出してはならない。強い女なのだから。欲があっても出してはならない。強い女は欲深くあってはならないのだから。取り繕わなければ、弱い精神のわたしは強い女にならなければ。
物心ついた時には父親を恐ろしいものだと把握していた。父親は力が強く殴られると痛かったし蹴られるとアザができた。顔をはたかれると翌朝腫れていたし足を蹴られるとまともに歩けない日もあった。わんわん泣きながらされるがままのわたしは翌朝けろっとした顔でおはようと言わなければならなかった。母親からはわたしが弱いからこうなるのだと言われたから気丈に振舞おうとしていたのだろう。
よく外で遊ぶ活発なこどもだったわたしに痣や傷跡があっても誰も疑わなかった。友達の多かったわたしは「転んだ」と言えばみんながそう信じた。先生が心配そうにスクールカウンセラーの紙を渡してきても「そんなんじゃない」と笑顔で対応した。幼いわりには強い女だったと思う。
しかし幼い頃に大人ぶりすぎたせいか最近どんどん精神が幼くなってきた。現にこの文章を書きながら夜中の3:00にひとりでしくしくと泣いている。中学の頃どれだけいじめられても無視されても部活の顧問にさえ適当にあしらわれても学校を休まなかったのに、意地悪な人が数人いるだけの高校にはあまり行けていない。強い女だったわたしは高校生になって愛されない悲しさに気づいてしまったのだ。
思えば誰にも愛されずに生きていた。好きだと言われたことは何度かあるし付き合ったこともある。だけどそれは全部彼らのファッションだったのではないか、いやそうに違いない。自分で自分を愛せないわたしが、親にさえ愛されていないわたしが誰かに愛されるだなんてそんな都合のいい話はない。今わたしがマンションの15階から飛び降りても誰も悲しまないし誰も涙を流さない。果たしてわたしに価値があるのか。生きることに何か意味があるのか。そう考えて何度も自ら命を絶とうとした。ギリギリの淵に立つと恐怖心が勝りそれはそれは泣いた。こんな時ですら弱いのかと泣いた。強くなければと生きてきた自分の弱さがより心を苦しめた。
わたしは未だに自殺願望が抜けない。死んではいけないと言われてもその意味がしっくりこない。自分が死ぬことによって迷惑をかけるのは申し訳ないから飛び降りはやめようとは思っているが誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法があればと思っている。
弱い女であるわたしが生きる価値を見出すのはまだまだ難しい。いろんな時わたしが強い女であればなと思い、自分は強い女なのだと自らを奮い立たせ踠き足掻きなんとか生きている。頑張りどころを過ぎた時、あぁさっきのわたしの強さは虚像だったのだと気づき、泣き喚き、弱い女に戻る。わたしなんてそんな女だ。あぁ、弱いなぁ。強くなりたいなぁ、まぁなってもどうしようもないのだろうけど。あぁ、全くもってわたしったら弱いなぁ。みんな毎日笑顔でそれとなく生きてるなんて強いなぁ。わたしは弱い女だなぁ。
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