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恩師の言葉

久しぶりの投稿です。
時間だけはたっぷりとある今、色んなことをゆっくりと立ち止まって考えています。その中でふと思ったのが、学生ずっと部活畑、所謂体育会系と呼ばれる世界で生きてきた私は恩師と呼べる存在に恵まれていたと思うし、その恩師のちょっとした言葉もよく覚えているものだということ。現在休職中ではあるが、自分も教員として人の前に立つ仕事をしていて、その恩師になり得る資格はあるのだから、発する言葉に責任があると改めて自覚させられもした。今日はそんな恩師の言葉を紹介したいと思う。

俺たちの頑張るってなんなんだろうな。

これは大学時代に陸上競技部の監督が言っていた言葉です。学生時代、私は監督の紹介で東京都北区にある東京都障害者総合スポーツセンターへボランティアに行っていました。そこで陸上教室のお手伝いをさせてもらっていた。そして年に数回大会のため、競技部へ補助員の依頼もあったので、その際は窓口になったりもしました。そんな縁で大学卒業後2年ほどパラ陸連の強化委員をやらせてもらったり、大学で投擲練習会を開催したりしていました。当時は無我夢中でやっていましたが、今になって振り返るとやりたくてもできない貴重な経験をさせてもらっていました。監督はこういったボランティアや補助員、時には陸上競技と全く関係ないフラダンスのイベントの運営スタッフまで色んなことを学生にやらせていました。ただ競技を頑張るだけでなく、そこから色んなことを学べということだったと思います。特に障害者スポーツに関しては協力を惜しまない方で、大学の競技場で練習したい選手がいれば歓迎し、忙しくても必ず一度は顔を出し選手に声をかけていました。先週末も大学でパラ陸上の関東選手権が行われていましたが、選手から数年ぶりに会った監督が覚えていてくれていて、わざわざ声をかけてくれたという話も聞きました。
そんな監督がよくボヤいていた言葉が、"俺たちの頑張るってなんなんだろうな。"でした。
腕や脚の切断・麻痺、脊髄損傷、視覚障害、知的障害、色んな選手が大学に出入りしていましたが、みんな一生懸命に必死に練習していました。中には60歳を過ぎた選手もいました。その姿を見て、我々学生が怪我して練習できないとか、気持ちが落ちてるとか言っていて良いのかということだったと思います。もちろん、怪我しているのに無茶しろという訳ではなく、やれることを一生懸命やっているかどうか、志高く持っているかどうかを説いていたのかと。私も骨肉腫がわかり、上腕骨を抜き腓骨を移植する手術をしました。まだ右腕は思うように動かせません。箸を使って食べるのがやっとのレベルです。色々と思うことはありますが、障害を持った人はそれがずっとなんだと思ったら、今まで以上にこの言葉が滲みるようになりました。
話は変わりますが、最近、今の自分がやりたいことや出来ることについて具体的に考えるようになりました。そしてそれを少しずつ形にしていこうと思っています。かなりワクワクしています。そんな話も追々と。

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