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【番外編】合衆国憲法に至るまでの補足説明

挨拶

 大統領列伝シリーズを書いてて、直接本人が関わることのないイベントも大統領になった時に重要な役割を果たすことに気づきました。なので、番外考察で事前に頭に入れないといけないイベントを解説した上で、本編を出したいと思います。

合衆国憲法以前の米国政治

 合衆国憲法以前の米国政治は大陸会議によって設置されたのは連合規約である。わずか10年程の短期間で解散することになる。

正式名称:連合および永遠の連合規約(Articles of Confederation and Perpetual Union)←「永遠」は何かの皮肉かな?

これは政府の仕組みが国の統治機構としてほとんど機能していない理由が大きかった。トップにあたる存在もいなければ、司法も整ってない。議会は議論に対し、各州が1つの投票権を持つ形であった。議会で決定されたことは9つの票を得なければ、施行されない仕組みです。

注:(議会の3分の2が承認しなければ、ならない決まり)←あれ、どこの国の憲法に似てますね

政府の機能も制限されており、宣戦布告、外交、条約の承認程度であり、戦時内閣に近い組織体で、内政は州に任されてた。議会に紙幣を作る権限はあっても、徴税権はない。

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実際の連合規約の紙幣

注:スペインドル(スペインの銀硬貨)もしくは、同価値の金銀と引き換えする権限があると書かれてる。←銀本位制+金といったところです

戦争目的で金が必要になった時は各州にお願いをする形で資金調達された。法改正も難しく、法律の改正は全会一致でなければ、承認されず、一度も法改正は無かった。合衆国憲法制定の解散の時くらいしか、決まったことを変えることはなかった。元々、英国の重税や政治圧力に対抗して、逆路線で作った政府である為、税は自治体で留め、反圧制の政府になる。「無税政府」かつ、「反圧制」は一見魅力的な政府に見える。しかし、政府の権限を絞り過ぎた上、税金で統制も利かない政府は権力的に無力に等しい。戦争の債券を回収するスキームが関税だよりで、貿易政策に失敗し、税金は取れないから債券返済ができない状態に陥る。おまけに、州が関税を徴収しなければならない状態で、関税によって国際的な交易を阻害することになった。あまりに酷かった為、1886年と1887年に問題は農民が反乱を起こすレベルまで達する。

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シェイズの反乱で有名な絵

債券を軽く解説すると、ヨーロッパの戦争投資家が金と銀による返済を求めたが、国内には十分な正金(金銀)がなく負債が払えなく、富裕な都会の事業家が田舎の小自作農から取れるだけのものを取り上げていた。しかし、小自作農は債権者が要求する金は持ち合わせてなかった為、家屋を含めて持ってる私有財産を没収されるという状態だった。よって、小自作農者が一揆を起こしたという話です。尚、トマス・ジェファーソンは定期的にそういった反乱が行える自由も必要と主張していた。

連合規約の領土問題整理

 戦争でなんとかして勝ち、今度はオハイオ(当時のノースウエスト・バージニア地域)の問題を対処する。1784年のスタンウィックス砦条約やマッキントッシュ砦条約で、領土の割譲と原住民を追い出したが、領土を主張権利は認める形の紛争防止策を展開する。事実上、原住民を追い出すことに成功したということになる。但し、北西部条例で五大湖周辺地域を手に入れるまでは良かったが、英国人の残留問題で1812年の英米戦争で付け込まれる隙を作る。尚、北西部条例で新たにできた5州は奴隷制の禁止される。

注:1812年の英米戦争(第二次米独立戦争とも言われてる)

合衆国憲法の制定過程

 当時の首都であったペンシルバニアで合衆国憲法の草案が作られる。当時として異例づくしの条件で作られることになる。憲法作成で神権を授かった者がいない点はヨーロッパの国々からしたら異例である。更に、裕福なプランテーションオーナークラブによる憲法作成がされる状態。かつ、半数は大学レベルの教育を受けてる状態(当時の大学通学率0.001%)、四割が独立戦争中に従軍経験あるといった特徴を持った人達が合衆国憲法を書いた。合衆国憲法は現状よりも強い権限を持つ政府の設置する共通目的があった。それまでは直接民主制に近い仕組みだったのに対し、行政・立法・司法の三権が分立した共和制の間接民主制に変える。アレクサンダー・ハミルトンは政府の権限を極限まで強くすることを主張し、最高権力者と議会の終身制まで主張していたが、却下される。大多数の意見は政府の暴政や国民の暴動を止める程度にとどめたいと考えていた。
 議決権の配分で人口の多い州と少ない州で揉めることになります。人口の多い州が優位なバージニア案と人口の少ない州でも公平なニュージャージー案が挙がり、コネチカット妥協(大妥協とも呼ばれる)にて、上院と下院を設置することで解決する(上院が各州平等に人数が決まっており(二人)、下院が人口比率によって人数決まる)。下院は民衆の意見を反映させやすいが、上院が否決しやすいという現代まで続く仕組みが出来る。更に、人口で変動する下院議席で奴隷を人口に加えてもいいのかという問題が挙がる。(まだ、この時代は奴隷は所有物であり、人ではないという扱いがされていた)5分の3妥協と呼ばれる妥協案で白人以外の人口は5分の3として、人口に含める計算方式を制定。(ここでは奴隷という表現は使われなかった)憲法に脱走した奴隷(所有物)が所有者に返されることも盛り込んでいた為、奴隷制を禁止してた州へ逃げることも出来ず、禁止する法律を施行できない状態にも陥る。連邦制の意味することは国の民であると同時に自治体の民であることを意味するが、奴隷の越境では解釈は曖昧になりやすい。裕福な議員らによって作られた制度なので、富の再分配を主張する大統領が選ばれないようにする対策も怠らず、上院議員は立法府が選ぶことになっている。

注:選挙人制度の制定もされるが、時代が経つにつれて、多数決当選でなく、選挙人で大統領が選ばれる事態が何度か発生する

それでも、合衆国憲法の歴史的価値は近代的な国民国家として最も古いものと謳われることが多い。(成文か不文かにもよるし、国民国家的発想の元で制定された憲法は昔から存在する国もいるが、置いておこう)憲法の批准には13州の内9州が必要であり、アレクサンダー・ハミルトンやジョン・ジェイらが85からなる説明文(連邦派ペーパー)で説得する。反連邦派は歴史の敗者であるが、貧しい民衆(ほとんどの人口)には一定の支持があり、強権的な政府は帝国のようなものであり、連邦とはかけはなれたものであると主張していた。

あとがき

 合衆国憲法以前の米国政治はこんな感じです。反英国さを意識しすぎた結果、政府としてほとんど機能しない状態が続き、変える動きで生まれたのが合衆国憲法です。次回こそ、ジョージ・ワシントン中編をやります。


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