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自分で選べなかった私が、自分で選べるようになったわけ

かい みさです

生きていく中で、常に「選択」って常にしていることですが、その「選択」をちゃんと自分でしていますか?

自分で選択できなかったり、選択しているようで実は自動応答している(同じことを繰り返している)だけだったり。私はずーっと自分で選ぶことができずに過ごしてきていました。

今回は、そんな私が選べるようになっていったことについて書きます。


選ばないことが楽、選ぶことが苦痛

きっと、「自分のことだから自分で決めるでしょ?」みたいに思いますよね。
それが、そう思えなかった時があったんです、私には。

ずっと、誰かに何かにすがるように生きてきて。誰かに何かに決めてもらって。
(小さい頃からいろいろと親に決めてもらったり、自分で選んでも、親にとって都合のいいものを選ぼうとしていたんです)

悩むこともないから楽。
周りにとって都合がいいから、みんなとも上手くいく。
そんな風に思っていました。

そして、うまくいかなかったら「最終的に誰かの何かのせい」にする。
責任転嫁して、そこから逃げる。そして、悲劇のヒロイン気分に浸れる。
(うわ…何これ、めんどくさい!でも、過去の私です 笑)

一見、楽なように見えるんですよね、自分で決めなくてもいいって。特に気分が落ちたりして、どっぷりドツボにハマってる時。
でも時々、それじゃあいけないって思う。
じゃあ、いざ決めてくれる誰かや何かが無くなるなると、不安、不安、不安でしかたない。 

だから私は結局、ずーっと誰かや何かにすがる生き方をしていました。

きっかけ


じゃあ、なんで自分で選べるようになったか。
その大きなきっかけは、自己破産することを自分で決めたからでした。

自己破産は究極に最低最悪」と思っていた私。
(その辺はこの記事を読んでみてください)


「究極に最低最悪」なんて思ってたら、何が何でもそれを避けたくなりませんか?

愛情をくれなかった父親のせい
死んだ母親のせい
家族に恵まれなかった環境のせい

どうしようもない状況になっているにかかわらず、まだ責任転嫁しようとしていました。

そんな時だったでしょうか…
こんなメッセージを受け取ったんです。なんとなく読んでみようと思ったマンガからでした。

「全てのことに自分で責任が持てて、初めて自由になれる。何かのせいにしたり理由にしている限りは不自由」

みたいな(うろ覚えですが、ニュアンス的にはこんな感じでした 笑)

もう痛い、痛い。グサリと刺さったわけです。ぐうの音も出ない。
受けたショックが大き過ぎて、数週間はモヤモヤぐるぐるしてました。

だけど、いつまでもモヤモヤしてはいられませんでした。そうしてたって、支払いの督促は来るから。

結局、当時同居していた祖父母に洗いざらい話し、借金の総額を伝えました。
そこで、客観的に状況を見ることができて、「もう決めるしかないんだ」と、やっと腹を括れたのでした。

選択も創造も、自分次第


こうして、「究極に最低最悪」な自己破産を選択しました。
だけど結局、最低最悪でもなくて、世界がひっくり返って幸せになっています。

自分で選ぶことって、怖い。
でも、自分で選んだから、こんな人生になったんです。できたんです。

さらに、それを後押ししてくれたのが、アクセス・コンシャスネス。

自分のものの見方が現実を創っている。
苦しいって思っている状況も、そこからひっくり返すのも、自分次第。

「正しい・間違い」「いい・悪い」ではなく、自分の真実から、自分で選択する。

その方法を、アクセス・コンシャスネスが教えてくれました。

アクセス・コンシャスネスには、様々なツールがあり、多くの人がそのツールで変容をもたらしています。

その入り口と言えるのが、アクセス・バーズ。

それを知ったら、自分の人生、もっと自分でありながら生きられるんですよ!!


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