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『よき時を思う』ノート

宮本輝著
集英社刊

 久しぶりに宮本輝の小説を読んだ。
 物語の冒頭に、「四合院造り」という初めて聞く言葉が出てきた。ネットで写真や図面を探して、この中国に特有の家屋形式「四合院造り」がどんな構造なのかを調べた。

 この塀に囲まれた四合院造りの持ち主が三沢兵馬であり、物語の主人公の一人である。彼と息子の克哉との37年前の小さな確執が後に断絶に発展し、もう26年。克哉がいまいったいどこにいて、何をしているのかまったく知らない。

 ちなみに四合院造りは方形の中庭を囲んで、東西南北に四棟の建物がある。北側にあるのが「正房」で、主人が住むところである。そのほか「東廂房」「西廂房」「倒坐房」がある。また南側に大門という出入りのための表門がある。

 もう一人の主人公は、この三沢の四合院造りの一角の倒坐房に住んでいる金井綾乃である。年齢は29歳で東京の海運会社の経理係をしており、書道が趣味である。叔母夫婦がタイのバンコクに赴任することになり、一時的にこの四合院造りの一角に住まわせてもらっている。

 そして最も重要な主人公が金井綾乃の祖母の徳子である。徳子は90歳の元小学校教師。徳子自身の提案で、自分の90歳を祝う本格的な晩餐会に一族を招く計画を立てたところから物語が大きく動き出す。

 この金井一家の中心は徳子である。16歳の頃に家同士の深い縁で嫁いだ相手は海軍技術中尉として出征し、戦死した。一緒に暮らしたのはわずか2週間であった。その報を聞いたとき、徳子は嫁入り道具として持ってきた来国俊の懐剣で、自害しようとしたが、ふとしたことで断念する。そのきっかけになったのが、後に夫となる金井健次郎である。

 1200人以上いる教え子の中で、徳子が初めて吃音の生徒と関わったのが、この晩餐会のシェフの玉木伸郎である。いまはフランスのエリゼ宮のスーシェフを務めている。徳子は玉木宛の50年前の手紙に、自分が90歳まで長生きしたら玉木の料理でお客様をもてなしたいとお願いをし、その時に心からのねぎらいの言葉を玉木からかけてもらいたいと書いていたのだ。

 晩餐会が始まる前に、玉木は徳子に寄り添い、徳子に向かって語りかける。
「徳子様におかれましては、病もなく、不安もなく過ごしておられますでしょうか。また、健康、生活、体力はいかがでありましょうか。…中略…徳子様におかれましては、少病少悩でありましょうか」。

 この言葉は、有名な仏典の一つである法華経の巻七にある「妙音菩薩本第二十四(構成によって第二十三とする説もある)」の一節で、他の世界から来至した妙音菩薩(サンスクリット語で「明瞭に流暢に話す菩薩)が、他の世界の如来からの伝言として、釈尊に、「(釈尊におかれては)少病少悩、起居軽利にして、安楽に行じたまうや(以下略)」ではじまる一節に由来する。

 また、この物語には、印象的な〝もの〟が出てくる。いずれも徳子の持ち物である来国俊の懐剣、端渓の硯、竹細工の花入れである。物語は遡るが、徳子は、高校生だった綾乃にこう言う。
「見ていると幸福な気持ちになる。それはやがて〝もの〟ではなく幸福そのものになる。わたしはそういうものを探し集めてきた。綾乃もそうしなさい。探せば見つかる。探さない人には見つからない」。

 金井家は、徳子の息子で現当主の陽次郎と妻の玉枝、長男の喜明と妻の春菜、長女の綾乃、次女のオペナースをしている鈴香、ひょんな事で大学を卒業してすぐにアルバイトで勤めていた会社の社長を引き受けることになった春明、そのほかそれぞれ助け、助けられ、関わった多くの人物が登場する。
 また物語の最後には、三沢兵馬が息子の克哉の結婚話を期に、長年の確執を超えて再会し和解を果たす場面がある。

 徳子という、芯は強いが思いやりと品性に溢れた女性の生き方を通して、人間として何が大事か、どう生きるかを読者に問いかけてくる物語だ。

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