見出し画像

『わが朝鮮総連の罪と罰』ノート

韓光熙
取材構成 野村旗守
文春文庫

 はじめに北朝鮮に関する筆者の記憶をいくつか記す。

 中学生の頃(1964年頃)のことだが、「千里馬*」という日本人が監督をした映画のポスターを街角でよく見かけ、「チョンリマ」(正式な発音はチョルリマ)という言葉もよく耳にした。熱心に朝鮮語を学んでいる社会科の教師がいて、授業の合間に時々、この北朝鮮の記録映画に触れ、「北朝鮮は地上の楽園だ」という話をしていた記憶がある。

*「千里馬」とは朝鮮の伝説上の馬。翼を持ち、一日に千里を駆けるという。「千里馬運動」は、北朝鮮の経済発展と社会主義躍進をめざして金日成が提唱した運動。

 二つ目は、1990年に自民党の金丸元副総理と日本社会党の田辺誠委員長が北朝鮮を訪問して金日成主席と会談し、自由民主党と日本社会党と朝鮮労働党の三党間で、「できるだけ早い時期に国交関係を樹立すべき」という共同宣言を発表したことだ。

 もう一つ。以前のわが国のパスポートには、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を除く全ての国と地域で有効」と記載されていたと記憶する。その後、この渡航先適用除外条項はなくなった。

 そして拉致被害者の問題だ。

2002年9月17日、平壌を電撃訪問した小泉純一郎総理(当時)が北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長(総書記)と会談し、その時、初めて北朝鮮側は日本人の拉致を認め、その解決と、日本統治時代の清算、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれた「日朝平壌宣言」を発表した。
 ここまでこぎつけた日朝交渉の経過については、『北朝鮮外交回顧録』(山本栄二著、ちくま選書)に詳しい。
 そして翌10月には蓮池薫さんや地村保志さんら5人が、1978年の拉致から24年ぶりに帰国。その後も様々な動きはあったが、国連決議を無視した北朝鮮の核実験や度重なる弾道ミサイルの発射実験などの強硬姿勢により、いま日朝間の交渉は完全に頓挫している。
 なお昨日(2024年2月15日〉、金正恩総書記の実妹で朝鮮労働党の金与正(キム・ヨジョン)副部長が談話で、拉致問題は解決済みとの立場を示し、拉致問題を「障害物」とみなさなければ「岸田文雄首相が平壌を訪れる日が来ることもあり得る」との個人的な見解を発表した。
 北朝鮮はこれまでの祖国統一の大方針を放棄し、韓国を罵倒する一方、日本に条件をつけて門戸を開いたふりをするというのは、いま関係が好転している日韓関係にひびを入れるための北朝鮮のしたたかな交渉術だろう。そしてそれに応じなければ、「日本に責任がある」といういつもの論理を持ち出すのであろう。
「ストックホルム合意」(2014年5月に日本と北朝鮮の政府間協議で確認された合意)を一方的に破ったのは北朝鮮だ。このとき北朝鮮は、「拉致問題は解決済み」としてきた立場を改めて、「特別調査委員会」を設置し、拉致被害者を含む日本人行方不明者の全面的な調査を行うと約束した。日本政府は、その代わりに独自の制裁措置の一部を解除することで合意したが、2016年2月、北朝鮮による核実験と弾道ミサイルの発射で、日本政府が再び独自制裁を決定すると、北朝鮮は調査中止と特別調査委員会の解体を一方的に発表した。

 現在、日本政府は帰国した人たちを除いて、北朝鮮に拉致された被害者として17名を認定しており、さらに、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない者として873名(2021年11月現在)もの人たちを〈特定失踪者〉として認定している。
 拉致は重大な人権侵害であるとともに、国の主権侵害にあたり、わが国政府としても北朝鮮に対し、被害者をわが国に戻すことを求めるとともに真相究明を求めている。

 この『わが朝鮮総連の罪と罰』の証言者は韓光熙(ハン・グァンヒ)という在日本朝鮮人総聯合会(以下「朝鮮総連」と表記)中央本部の財政局副局長まで務めた人物だ。彼の証言をもとに、ジャーナリストの野村旗守(のむらはたる)が構成をした本である。この野村氏は一昨年58歳で逝去した。一方、証言者の消息は調べたが確認できなかった。1941年生まれで、1999年に朝鮮総連を辞めており、その後、この本のあとがきによれば、脳梗塞で何度も倒れているので健在かどうかは不明だ。

 この本の発刊が2002年4月(文藝春秋刊)で、筆者が入手したのは2005年5月10日第一刷の文庫本である。古本屋で購入した。

 証言者の韓光熙は日本で生まれ、若くして朝鮮労働党員に抜擢され、のちに朝鮮総連の本部勤務となり、金庫番を務めた。またその以前には工作員として、北朝鮮関係者の密入出国や金日成一族への様々な貢ぎもの(現金を含む)を運ぶための工作船の着岸地点(「接線ポイント」という。当然拉致にも使われた)探しなど、様々な秘密工作さらには公然工作にも携わってきた。
 その証言は細部にまでわたり、日常的な出来事まで具体的に書かれており、人名もほとんど実名で登場している。

 日本で商売等をしている北朝鮮出身の多くの人たち(「商工人」という。戦前に日本に連れてこられ、戦後そのまま日本で定住している人々)が所属していた朝鮮総連、そして北朝鮮本国との関係で、その本来の役割を失い変質し腐敗していく朝鮮総連の内情など、微に入り細に入りの証言が書き留められている。

 ここでは個々の具体的な事件には触れないが、韓光熙は最後に、自身の気持ちをこう吐露している。
「私の組織の活動に対する意欲を完全に失っていた。社会主義への夢も、祖国統一にかける情熱も、すべて泡と消えていた」。
 そして、「私を責め立てたのは、激しい自責の念である」とし、朝鮮総連で自身が行ってきたことは、同胞のためと思い込んでいたが、振り返ると逆に害を及ぼすことばかりしてきたのではないかとの思いが湧き上がってきて、それは「私の人生の全てを否定することだった」と述懐するのだ。
 
 筆者もニュースでしか知らなかった事件の内幕が、この本を読んでよく理解できた。
〝民族反逆者〟と呼ばれている韓光熙の衝撃の証言集である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?