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『という、はなし』ノート

吉田篤弘 文

フジモトマサル 絵

ちくま文庫

 このところ堅い内容の本が続いたので、少しやわらかい本を読んで頭のコリをほぐそうと思い、本を探しに近くの本屋に出かけた。

 本棚を端から見ていって、『という、はなし』というタイトルが目についた。表紙の書名の『という、はなし』の文字に続いて、帯に「ってどんな話?」とある。

 それぞれの物語に添えられているフジモトマサルの1ページ大のイラストがいい。というか、本を開いて、文章を読む前にイラストをみて気に入って買ったようなものだ。ネコやヒツジ、レッサーパンダやペンギン、虎やウサギやバクなど、いろんな動物がいろんなシチュエーションで、まるで人間のように書物を読んでいるイラストが描かれており、童話的でなんとも味があるイラストだ。

 このイラストに既視感があり何の本だったかと思いを巡らせていて、思い当たった。ずいぶん前にこのnoteで取り上げた『村上さんのところ』にもフジモトマサルのイラストが使われていた。

 この本は、筑摩書房の月刊PR誌「ちくま」の表紙に「読書の情景」というテーマで2年間、24回にわたって掲載されたイラストとそれに添えられた文章からなる。

 フジモトマサルの「あとがきのまえがき」には、「私の仕事は本を読んでいる情景を描くことであって、彼、彼女(描かれた動物たち※筆者注)が何を読み、何を考えているのかまでは考えない」(P108)とある。

 そして自分が描いたイラストを、文章担当の吉田篤弘に送り、どのような物語が添えられるか楽しみに待つばかりと書いている。そして数週間後、その文章を読んでは「なるほど」と膝を打つのである。

 通常は作家が物語を書き、それに合ったイラストを描くというのが手順だろうが、この本に収められた物語は、まずフジモトマサルのイラストがあり、それに合わせて吉田篤弘が文章を書いているのだ。この試みが面白い。

「あとがきのまえがき」の次の「あとがきのあとがき」に、吉田は自分の文章のことを「挿文」と名付けている。「挿絵」ならぬ「挿文」だ。

 フジモトと吉田はこの連載について話し合ったりしたことは一度もないという。毎月、入稿の締切日のおよそ一週間前に予告もなしに吉田の手元にイラストが届く。それもだいたい深夜の3時頃、時には4時や5時頃に仕事場のポストに届いていたという。ということは、吉田もその時間に起きていて、きっと文章を書いているのだろう。フジモトのメッセージは、「あとはよろしく」のみ。

 フジモトは〝なぞなぞ作家〟としても有名だったそうで、吉田はフジモトのイラストにはきっと隠されたものがあると思って、イラストをよく眺めていると、〈日曜日の終わりに〉(P91)という物語のイラストが、吉田の仕事場の台所であったことに気づく。連載について話し合ったことはないが、吉田の仕事場に来たことはあったのだろうか。

 一風変わった書名『という、はなし』の由来は、吉田の父親の口ぐせだった。父親は若い頃は落語家志望で、酒を飲んで興がのると、自分の体験やどこかで仕入れてきた面白おかしい話を滔々と話すのが常で、最後にちょっとしたオチをつけて笑いをとり、その話がうけるとひと呼吸おき、「という、はなし」と話を締めくくっていたそうだ。その言葉には、「まぁ、そういった、たわいない話ってことよ」というニュアンスがあったそうだ。

 といっているが、この本の24編の短い物語はたわいもないお話ではない。どの物語も一行目から引き込まれ、クスッと笑い、考えさせられ、ついでじんわりと心の隙間に沁みてくるような文章だ。いまの時代への控えめな風刺も効いている。

〈待ち時間〉(P30)という物語――最近、街を歩いていると、かたわらを通過してゆく人たちが口にするセリフが耳に入ってくる。

「ちょっと遅れています」「いま、そちらに向かっています」「あと五分で到着すると思います」といった具合。さらには、「いま、角を曲がったところです。あ、○○ビルが見えてきました……ああ、ここまで来ればもう大丈夫です。もうすぐです……」

 著者は、まるで遅刻の実況中継のようで、「待ち人来たらず」どころか、待ち人がやかましくしょうがないという。

 筆者はここまで読んできて、そういう情景を何度も見たことがあることを思い出し、電車のなかでつい吹き出しそうになり、マスクの上から口を押さえて咳払いのふりをした。

〈何ひとつ変わらない空〉(P38)は、男と屋外アンテナ氏が主人公だ。半年に一度くらい、男は屋根にのぼってアンテナ氏と最近読んで面白かった本について話す。

 アンテナ氏は驚くほど本を読んでいて、書名をあげると、「ああ、あれですか」と答える。男が、これは知らないだろうという作家の名前をあげると、逆に「そのあたりが好きなら、□□とかもいいですよ」と教えてくれるほどだ。さらには書肆的な情報にもやたら詳しいのだ。

 なぜそんなことまで知っているのかと聞くと、最近はインターネットなどで仕入れているといい、アンテナ氏ならではの空の事情を話してくれる。

「いまこの瞬間にも、この空の中をものすごい量の電波と情報が飛び交っています……あえて言うなら、百万億超くらい」。

 十年前はこれほどではなく、ほどよい時代で、西の空にNHKの「みんなのうた」が飛んでいくなぁ、とはっきり確認できたのだという。そして人間であるあなたたちの目には十年前と同じ空だろうが、自分たちアンテナには見るに堪えない混乱と猥雑さだと男にいう。

 そしてアンテナ氏の声がしだいに尖って聞こえるようになり、「〝ほどよい〟が消えてしまったんです。何故でしょうか」と反問してくる。

 いまや仕事や日常生活に欠くことのできないインターネットや携帯電話。家の1階と2階なのに携帯電話やメールなどで連絡をしたりしていることもある。その会話や情報は家の1階から2階に直接伝わっているわけではない。様々な幾重もの中継地点を通して電波で相手方に伝わっているのだ。それらの機器は当然電力を消費する。それがどれだけの電力を消費しているのか……想像するだに恐ろしくなる。

 どれもちょっぴりの風刺とユーモア、そして日常の気づきに満ちた24本の大人の童話である。

 最後に――フジモトマサルは2015年11月に46歳で亡くなっており、もう新作を見ることができないのが残念だ。

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