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『椿ノ恋文』ノート

小川糸著
幻冬舎刊

 11月上旬、筆者あてに女性の文字で書かれた封書が届いた。消印は鎌倉雪の下となっている。鎌倉に女性の友人はいないので一体誰かと裏を見ると、差出人は幻冬舎ツバキ文具店となっている。
 きれいな文字で、はじめに6年前に次女の小梅ちゃんと長男の蓮太朗くんが年子で生まれ、長女のQPちゃん(本名:陽菜)は中学3年生になったことが書かれてあり、その後の近況がかいつまんで書かれ、長らくお休みをいただいていた代書屋再開に向け準備をしている旨のことが書かれていた。
 追伸で、ツバキ文具店シリーズの最新刊『椿ノ恋文』が11月1日に発売予定と書かれていた。

 何かアンケート葉書でも書いたから届いたのだろうが、記憶にない。本の宣伝といっては身も蓋もないが、芸が細かいというか、さすが代書屋の物語だと感心した。手書きの文字の印刷物だが、ちょっと気分がほんわりとし、早速書店に行き購入した。

 この著者の作品を取り上げるのは、『ライオンのおやつ』『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』に続いて4冊目だ。
 noteで初めて取り上げた『ライオンのおやつ』は瀬戸内海にあるホスピスでの死を扱ったもので、後の2冊とこの『椿ノ恋文』は、鎌倉にあるツバキ文具店という文具の販売と、祖母から代書業を引き継いだ雨宮鳩子(通称ポッポちゃん)が主人公の連作である。

 鳩子は、奥さんを不測の事故で亡くしたQPちゃんという女の子連れのミツロー氏と結婚し、そのあと年子で小梅と蓮太朗の二人の子どもを授かった。

 鳩子は厳格な祖母に育てられ、祖母の厳しい訓練を受けながら代書業という仕事を受け継いだ。客から手紙の代筆を依頼されると、依頼するに至ったいろんな事情を聞きながら、筆跡まで似せて依頼客の趣旨に沿った、あるいはそれ以上の手紙を認める仕事だ。

 この本にも、料理好きな姑がスイーツやおかずを作ってくれるのはいいが、いつも髪の毛がその中に入っているので、そのことを姑を傷つけないように知らせたいという優しい心遣いの女性の依頼。病で死期が迫り、手紙も書けなくなった母親が、結婚式を間近に控えた娘への最初で最後の手紙。不本意な勧奨退職を受けたので自分では書きたくないという男性の退職届の代筆の依頼。医食同源を標榜するペットフードを買ってくれたお客さんへの動物愛に満ちたお礼状。若年性認知症の女性からの、まず自分の姓名からどういう人間だったか、何が好きだったのか等々を記した自分宛の手紙を書いてほしいとの依頼。高齢のため危なっかしい運転をする父親に、事故を起こさない前になんとか免許を返納してもらうようにするための手紙――娘の依頼だったが、結局その男性の妻が病床で書いた体で、離婚届を同封して送ることになる。またある時は、若い男性から両親へカミングアウトの手紙を依頼されたが、これはなかなか難航し、鳩子も悩むのだ。
 それぞれの手書きの手紙が本文に挟まれているのが面白い。その手紙も物語の一つだ。

 さらに思春期を迎え反抗的になった――それもただの反抗期の態度ではなく、その原因は鳩子の一言にあったのだが――義理の娘であるQPちゃん宛に鳩子が書いた母親としての手紙。この愛情溢れる手紙で、二人は心の底から理解し合い、和解することになる。

 あるとき、見知らぬ男性からの手紙がツバキ文具に届く。代書の依頼かと思えば、それは鳩子の祖母と、伊豆大島に住む妻子持ちのある男性との道ならぬ恋の物語であった。探してみると、祖母の本の間にその男性からの手紙が挟まれていた。
 また祖母がその男性宛に書いた未投函の封をしていない手紙……その手紙を祖母に謝りながら、意を決して読んだ鳩子は、あの厳格な祖母がこんな情熱的な恋文を書くとは想像もできないと驚くのだ。
 その男性もすでに亡くなっており、鳩子は伊豆大島に行き、その男性の甥と、二人が昔たき火をしたと手紙に書いてあった砂の浜(さのはま)でその二人の手紙を重ねて焼いた。

鳩子の家族や依頼人を巡る日常を縦糸に、それぞれに背景や事情のある代書の依頼などの物語を横糸に織りなされる人間愛溢れる物語だ。

最後に物語の中での印象的な言葉をひとつ取り上げる。「トキグスリ」――いい言葉だ。どんな悩みでも何でも時が解決してくれる。時が薬なのだ。人生何があっても、ジタバタすることがあっても、もがき苦しむことがあっても、いやなことがあっても、時が解決してくれるということだ。

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