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『富士山はいつ噴火するのか?―火山のしくみとその不思議』ノート

萬年一剛著
ちくまプリマー選書
 
 私が住んでいる街の駅を出て、ほぼ真西に延びる通りの真正面に富士山が見える。台風一過の朝には山容が一望でき、冬の晴れた日には真っ白な富士山が姿を現す。また陽が沈む前には季節にかかわらず巨大なシルエットが見えることがある。
 最初、この街に引っ越して来た時には気づかなかったのだが、10年ほど前に駅前通りが拡幅・整備されて街の名前にふさわしい景観になった。
 この街から直線距離がどれくらいあるのか、地図にキルビメーターを当てて測ると、およそ100キロメートルであった。

 富士山はいつ噴火するのか。江戸時代の1707(宝永4)年の宝永の大噴火から300年以上噴火していないので、そろそろ危ないのではないかと言われてからも数10年は経っている。
 私が小学生の頃は、火山は「活火山」「休火山」「死火山」と三分類であり、富士山は休火山の分類であったと記憶する。しかしいまは「活火山」と「それ以外の火山」と二分類しかない。
 2003(平成15)年に火山噴火予知連絡会で見直された「活火山」の定義は、「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」となっており、江戸時代に噴火した富士山は「活火山」となった。
 
 いまわが国には活火山が111座あり、世界の活火山の7%が、地球上の国土面積の0.28%しかないわが国に集中している。まさに日本は火山国である。
 
 富士山は標高だけではなく、その優雅な姿からしてもまさにわが国を代表する火山であり、昔からいろいろな物語に登場している。
 平安時代前期おそらく9世紀後半~10世紀前半頃に成立されたとされる「竹取物語」では、かぐや姫が月に帰った後に、噴煙を上げる富士山の姿が描かれている。
 かぐや姫に最後に言い寄った帝さえも退けたかぐや姫は、手紙をつけて不死の薬を帝に送る。だが、帝はかぐや姫にはもう会えないのに不死の薬があっても仕方がないと考え、もっとも天に近い山はどこかと側近にお尋ねになり、「それは駿河国にある山です」と答えると、ではその山の頂上でその薬を燃やしてしまえと使者に命じるのだ。それで「ふし(ふじ)の山」と名付けられ、いまでもその薬を燃やす煙が立ち昇っているのだと結ばれている。
 
 そのほか、少し時代が下るが11世紀に生きた菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が書いた「更級日記」にも13歳の頃に自分の目で見た富士山の姿が描かれている。
 
 閑話休題。火山学者である著者はどう結論しているのか。「ししおどしの階段ダイヤグラム」などの手法を使って種々分析を試みているが、「富士山のマグマだまりはパンパンで、いつ噴火してもおかしくないスタンバイ状態」という某大学の先生が言っていることについて、著者は、「現代の火山学が利用可能な観測手段では、マグマだまりがパンパンかどうかなんか、わかりっこない」といい、「次の噴火の正確な時期も、いま噴火した場合の噴出量も予測できない」と結論する。
 そして次の噴火は私たちが単純に思い込んでいる富士山頂の火口からの噴火よりも、山腹での噴火のほうが、可能性が高いといい、そのように推測する理由も書いてある。実際、1707年の宝永噴火は山腹で起きており、その時の噴火口は富士山の南東斜面、標高約3150mから2100m地点にかけて、大きな火口が並んでいる。3つの火口は山頂側から順に宝永第1、第2、第3火口と呼ばれており、一番大きい宝永第1火口の直径は富士山の山頂火口より大きく、山腹が大きくえぐれたようになっているのが見える。噴火当時に描かれた絵(作者は失念した)を見たことがあるが、山腹から噴火している様子がよくわかる。

 せいぜい百年に満たない人間の寿命から見て、万年単位で活動する火山の噴火予知は、いくら科学や観測機器が発達しても出来ない相談なのかも知れない。
 
 最後の章では、万が一噴火した場合の溶岩流出や火山灰による被害想定について書かれている。近代都市がいかにこのような噴火災害に対して脆弱なのか怖くなるほどだ。
 この本を読んで、風向きによっては私の住んでいる街まで火山灰が降ってくる可能性が高いことがわかり、100キロ先に見える秀麗な富士山をちょっとちがった目で見るようになった。

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