去年書いてた独り言

中学生の頃、部活のない日は入り浸ってた町田の貸しレコード屋さん『友&愛』
高校生になってからは、バイトのない暇な日に友達と通ってた。

音楽、アイドル、俳優、ファッション、雑誌…
三女の自分はなんでも姉たちの影響を受けた。

すぐ上の姉が熱狂的な小田和正さんのファンで
もちろんオフコース愛は単純な妹にも伝染した。姉たちが聴くユーミンも。

5歳と3歳上の姉の真似をすることで
同級生より大人感を醸し出そうと自分をプロデュースした。幼い。

オフコースとユーミンにハマり続けたのは私1人だ。
中学卒業と同時に専門学校へ通いながら住み込みで働いた長姉は家にはもういなかった。とにかく多忙な毎日。
家の事情で口べらし。
今考えるとすごいことだ。15歳で親元離れて働くなんて…恐ろしい。
忙しい中でも実家に帰ってくると
私たちにお小遣いをくれた。
初めて原宿に連れて行ってくれたり
末妹の私にはよくお手紙をくれた。
長姉を心底尊敬するし、妹弟たちを様々に守ってくれて本当に感謝している。 

次姉は家の事情で定時制高校へ。
働きながら彼女も私たちにお小遣いをくれていた。
とにかくミーハーで、流行る直前に私の前に情報を持ってきてすぐ飽きる。
オフコースの解散filmコンサートや
ブルーハーツ、バナナラマのコンサート
なんか色々連れてってもらった。
デビットボウイ、カルチャークラブにハマった時に
中学生の私にブルーの口紅を教えてくれたっけ。
喫茶店でカフェオレを教えてくれたのも次姉だった。

多忙な姉とミーハーな姉。
私はそのおこぼれの情報をいつもいただいては追っかけていった。

父と母、次姉と弟、そして私で
横浜から町田の狭いアパートに引っ越して暮らした。
父は出張でほとんど家に居なかった。

私たち姉弟は明るかった。
家にはたびたび借金取りが来たんだけど
その借金取りの人と話をするようになった。
映画やドラマに出てくるような
「いかにも」の絵に描いたような昭和の借金取り。
レイバンのサングラスのイメージ。
怖い人だったけど子どもたちが不憫だったようで。
昔は人情がありました。

私たち姉弟がいたって明るかったのは
時代的に荒れていた家庭環境の子たちが
多数存在していたから。
彼らはあからさまにやさぐれていた。
うちだけじゃない、という慰めがあったからかもしれない。
姉弟とも仲が良かったのも救いだ。
というかあんな状況下だと仲良くなる。
無意識の中で徒党を組んで結託していた。
嫌なことがあっても明るく生きていこう
という沈黙の愛があった。

家族の皆がそうなのだけれど
嫌なことをほとんど覚えていない。
忘れてしまう「癖」を私たちは手に入れたのだ。
昔助けてくれたその「癖」のせいで
今は家族に怒られたりする。
良かれと思って忘れる癖を得たのに。
不思議だ。笑

私の楽しみは音楽を聴くことだった。
しつこいくらいに聴き込んだ。
好きになった人と重ね合わせたり
自分の未来を妄想してみたり。
あー早く大人になりたい!
私もこんなおしゃれな恋をしてみたい!
ワクワクした。

明星の歌詞本を片手にレコードやカセットをかけた午後。
「ワインの匂い」「秋の気配」「眠れぬ夜」「海を見ていた午後」「ホテルカリフォルニア」「翳りゆく部屋」
好きだったなぁ小中学生の頃。

嫌なことあっても妄想の中に連れてって忘れさせてくれた音楽。
救いとか逃げとか。
それが心の居場所になるなら
生きてく上で必要なものだと思うから
文化と呼ぶモノ
音楽、映画、絵画、演劇、アニメ
なんでも良いんだけど
すべての人々の側にいて欲しいと心から願います。
それらを奪ってしまう紛争が
1日も早く終わってくれますようにと
心から願います。

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