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コロナ後に描きたい社会・経済

何気に初めての投稿なのですが、記録に残しておきたいなとおもって、書いておきます。

最近はやりの「ブックカバーチャレンジ」にかけて、FBで投稿した文を転載。

連帯経済

この本、これからの社会を描くのに、今、あらためて読みたいなと手に取りました。

『連帯経済-その国際的射程』
ジャン=ルイ・ラヴィル編著, 北島健一・鈴木岳・中野佳裕訳, 2011,生活書院。

連帯経済というのは、私が大学院生時代に研究していたテーマであり、対象です。この著者の方にあこがれすぎて、アポとってパリまで行ったのよい思い出。(というか実際現地の様々な団体を視察させていただきたく、お願いして、コーディネートしてくださって、ほんと感激&まじ自分のずうずうしいお願いに今思い出すと冷や汗……。)


特に今回、ふり返りたかったのは、ただ人々の助け合い・つながりを基盤にした経済ですよ~ってことじゃなく、連帯経済が大事にしている、「政治的な働きかけ」の重要性に関して。

例えば……今回の給付金一律10万円。当然賛否両論はあるだろうし、30万円やった助かったもらえる…ってなってた人には最悪だろうけれども、これはまさに(ネット世論含めて)1人1人の声で動いた政策だったと思っている。
そして、その受給方法。原則世帯主に支払い、ではあるけれども、DV被害を受けていたりその他何等かの理由で、世帯主に給付が行ったところで受け取れない方々は、個別に申請すれば自分で受給できるし、万一先に世帯主に行ってしまっていても手続きすれば受給可能(※その場合、世帯主に渡ってしまった分は返還)となった。


これ、10年・20年前だったらこんな柔軟な制度になってなかったんじゃなかろうか……。


DVを受けている当事者も「これはDVだ」という認識も持っておらず、社会的にもきちんと認知されていなかった頃であれば。


地道に、DV被害者支援団体や、その他活動する方々が地道に活動し声をあげ続け、今回の形にようやくなったんだと思う。

また、ネットカフェに住むネットカフェ難民や、路上生活者への支援。コロナでネカフェが営業停止になって、それで住む場所に困る人がいる……という事態に、きちんと行政が目を向けて、泊まれる宿泊場所を用意したり、ということだって、地道な活動の成果だろう。

もちろん、行政だけでは不十分で、民間でどうにかこうにか1人でも救おうと、様々な取組みがあって、今も動いておられる方がいる。
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目の前の1人を救う、ということと同時に、政治・政策に働きかける。その両輪でずっと活動されてる方々がたくさんいることを、知っている。


それなのに私は何もしておらず、申し訳なさもあるしうわべだけの理解だけれども、勝手に、胸が熱くなった。

※何もしてない、とは言いつつ、ちょこちょことできる時には寄付したり周囲に話したりはしてます。
「やってますアピール」ということじゃなくって、どんな人でもこういう活動への参画・サポートはできるんだからね!っていう意味で、付記。


「連帯経済」という視座で素晴らしいのは、生活を成り立たせるための「経済」であると言いつつも、(マネーの動きではなく)「人間」が主体(中心)になる仕事のつくり方ややり方、ひいては経済のあり方、に加えて、政治的・社会的に訴えかけていくことの重要性も、ちゃんと入っている点。
そのすべてがないと、我々は人間らしい生活を取り戻したり、維持することはできない。

わたしたちは結局、社会の中で生きてるし、その社会のルールの多くは、政治や制度によってかなり規定されている。

*-*-*

長々と書いたけれど、ここ数日考えてたのは、
コロナ以降、どうしたらもっと人間が中心になる経済のあり方にシフトできるかな、ということ。

せっかく、ある意味経済活動が抑制されたことで、皮肉にも、環境汚染は改善されているこの状況……。

経済も回復させていかないといけないけど、その「回復のさせ方」に、ビジョンと具体的な制度・政策設計が必要

(他、色々と考えてること・これもしかして参考になる?って事例も頭に浮かんでるんだけど、いったんこの辺で。。。)


※余談で、自分自身のこと。今のアートの仕事に紐づけて。
大学院時代、連帯経済の研究をしてた頃は、全ての人々が自分の「生」を取り戻して、暮らし働ける姿を目指してた。
今も結局、アートを通じて、一人ひとりが「発言者」になっていくことを目指して、仕事を進めている。

基本的視座は、私の中で変わってないんだなぁ…と感じた次第でした。

参考文献

ついでに、今回のことをモヤモヤ考えてた時の、他の参考文献。

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