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拾われたいのち

それは、2016年の1月。
何気ない会話の中で、最近乳がん検診を受けてみたという友達の言葉を他人事のように聞いていた。いつもだったら、何気なく流れて行く会話のひとつ。でもなぜだか私も受けないといけない気がした。そうだ!会社の健康診断は来月だ。じゃぁと乳がん検診をオプションで加えてもらった。

うちの市町村では、39才になるまで乳がん検診のお知らせは来ない。その時私は、35才だった。まぁお守りのようなものだから、と興味本位で検診を受けにいった。はじめての乳がんエコー。エコー技師さんは女性で安心した。でもその安心感とは別に、技師さんのエコーの手がある1カ所で止まって何度も往復する。カタカタカタカタ。何かを計る音がする。はじめての経験だった私は、それが何を意味しているのかが分からなかった。

そして、検査後の診察。なんと私の左胸にちいさいしこりみたいなものがあると。検査所の医師は、紹介するのは、どこの病院がいい?どこでも選べるよ。割とライトでポップな感じで聞いてくる。まるで、ケーキの種類を聞いているみたいに。あまりにポップなので、大したこと無いんだろうなと勝手に脳内変換をかけて、私もポップに答える。できるだけ家近で。

その次の週には大きな総合病院にいた。乳腺専門医はナイスミドルでリリーフランキーみたいな渋い感じだった。どうやら、生検というのをするらしい。リリーフランキーは優しい面持ちで、しかし確実に私の胸めがけて、太い針を突き刺した。痛いというか重い。なんだこれ!麻酔無しって、ヤバいだろ。そして、私の胸には青あざのようなものが残った。いたたぁ。

その後、1ヶ月間ほど、脂肪の塊説←→癌説を行ったり来たりして、最終、手術生検後、癌であることが判定。私のがん細胞は、何度も姿をくらまし、発見から逃げていたが、先生の努力により、やっと見つけてくれた。

乳がん ステージ2 Ki67値3~4 硬癌 私の左胸には、最大0.8㎝の反社的細胞が2~3個できていたらしい。(そしてまさかの脇のリンパ節にも転移が1個あったのだ)ちょっとした半グレ集団。私の中で育っていたらしい。私のがんは大人しいタイプで、この大きさになるには、5~6年はかかっているかもね。と言われた。振り返ってみると、結婚して子供が生まれて、旦那と死別し、色々あって大変だった。毎日ストレスフルでいっぱい一杯。そりゃグレるわ、私の細胞。自分の体、もっと大切に扱わないとと思った。そう、怪獣には私しかいないのだ。ここで死んでたまるか。

手術→放射線治療→ホルモン注射(生理を止めるため)5年・お薬10年と、まるでエスカレーターに乗っているように、出来事が私の前を通り過ぎる。なんかバタバタして、オロオロしている間に過ぎ去った。
乳がんは、手術して悪いものを取ったら終わり。では無くて、その後の治療が大切になるようだ。術後、5年、10年と壮大な答え合わせをしていかなくてはいけないような気持ちになる。病気になると、自分が欠陥品のように感じてしまう。同年代の彼女らは、毎日健康に過ごしているのに、私の体は何故と。でも、そのどうしようも無いつらさも、時が解決してくれる。目の前にある当たり前の毎日を、丁寧に積み上げていくうちに、自分自身で納得していくように、病気になったことを受け入れていく。
今年で術後4年目に突入した。来年も当たり前の日常が送れていますように。