目標の持ち方一つ
2年前。
自分がゴールデン街でバーテンをしていた頃です。
先輩が飲みに来てくれて「柴田くんはどこへ向かおうとしているの?」と訊かれました。
当時の自分としては、この見通しが立ちにくい現代において、狭い見識内だけで自分の生き方の向かう先を見定めることは、めちゃめちゃ可能性を狭めると考えていました。
なので、敢えて明確なゴールを設けず、直感の赴くままに行動し、人と出会い、また一つの場所に依存せず、自分の予期を超えた経験を積んでいく方が今という時代に乗り遅れないという、信念っぽいものを持っていました。
今でもそれは間違いではないと思っています。
しかし、当時としては全く予期もしていなかった会社や店舗を持った今、経営という考え方が必要となったとき。
自分が目指す先を具体的にイメージする大切さを感じています。
先日、「思いっきりがんばれ」という記事を書いたあと、自分が向かおうとしている目標と、"思いっきりがんばる"の間にある差を感じました。
自分が向かおうとしている目標…自分が満足を覚える地点が、"思いっきりがんばる"に対して、小さい気がしています。
つまりは、もう少し大きな目標を自分の中で掲げないと、今固め兼ねている覚悟が固まらない。
無理をしたり、自分を曲げる必要はないと思いますが、掛けてくれている期待に対し、自分が掲げる目標が小さいのは、いかがなものだろうか。
仮に。
自分の目標を少し高い位置に持ってきてみると、今目の前にある大きな課題が小さく感じてくる。一世一代の問題と思われていたことが、乗り越えるべきものに思えてくる。
目標の持ち方一つで、世界の見え方がまったく変わってくるものです。
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