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放置少女×小林未郁「絆つむぐ冒険」

この楽曲の歌唱依頼はとても印象的だった。
最初に制作会社のS氏から連絡をもらったのは約2年前。ある案件の歌唱依頼で、やり取りを続けたもののその時は話が流れてしまい、とても残念な思いをした。しかし私のスタンスとして最後まできっちり連絡する事を心掛けているので、残念な気持ちを抱えながらもご挨拶メールをしてその時は一旦終了した。

この出来事をちょうど忘れた頃、S氏からまた連絡があり今回の歌唱依頼を頂いた。前回気持ちの良いやり取りが出来たので、必ずお仕事を実現したかったと言って頂けたのがとても嬉しくて、こちらこそ今度こそ!と思ったのを覚えている。

そして今回のデモ音源を頂いた時、公式コメントでも発表したように「本当に私が歌って良いのか?」と思った。何故なら私に歌唱依頼が来る時はある種のイメージが確立されており、戦うことや悲しみを感じるような楽曲が多いからだ。
レコーディングの現場でこの事をS氏に直接聞いてみたところ「色々な動画を見て、周りを明るく照らす太陽のような存在だと思って」と回答があり、本当にびっくりした。と同時に、私の主立っていない面を裏からではなく正面から見てくれている人がいるんだ、と思った。

先日公開されたインタビューでも思わず話したのだが、子供の頃からずっと光と闇の両方を感じながら生きて来た。場所や環境や立場によってコロコロとキャラクターが変わってしまう自分に戸惑い続けた。「本来の自分」とか「ありのままの私」と言うような言い回しがあるが、一体それは何なんだろうかと悩み、自分の体と意識がずれっぱなしのまま日常を過ごしている感覚があった。今思えばキャラクターを固定化する必要性なんてないのに、決めなければいけない!と言い知れぬ不安に苛まれていたのだ。

その感覚のずれが一致したのは「小林未郁」という活動を始めてからだ。思うままの表現活動をして、私がいる場所、をようやく見つけることが出来た。それが、暗闇に一筋の光が差す状態だった。ここだなと思えた時に安心感があった。そうしていく内に周囲からのキャラクターも確立されていった。そして痛みや悲しみが原動力となる歌唱が軸になったのだが、私は常に光に触れていた。

そうして何年も歌い続けた今、その光の部分を強く感じてくださる方が現れた事は驚きであったと同時に、言い訳出来ないな、と直感的に思った。だからこそ今回の楽曲は、私がずっとおやすみさせていた部分を開放させて歌うべきだと感じた。そしてそんなS氏との現場だったから、先日公開されたインタビューで、より掘り下げた事をすんなりとお話し出来たんだと思う。

レコーディング現場は、日本 - 中国 - アメリカ をオンラインで繋ぎ、各セクションで確認しながらアイディアを出しながら進められた。終始楽しく穏やかな雰囲気を作って頂き、この楽曲を歌唱するにはこれ以上ない空気感の中で歌うことが出来た。
本格的なプロモーションの前に先行公開として中国ツアーの全会場でこの楽曲を歌唱したのだが、一度開放したものは常に光を帯びていて、いつ歌っても楽しい。私自身がそう思えた。

最初から最後まで丁寧な仕事をするS氏であったので、現場に入る前に関係者の紹介やリンクを送ってくださり、どんな人がどんな風にこのプロジェクトに関わっているのか知る事が出来た。そのお陰で1曲を完成させるまで積み上げる実感もあり、これからの私の音楽活動に置いて一つの基点にもなったと思う。

これからも、いつどこでどんな絆がつむがれるか、予想は出来ない。
確信していたのに壊れる事もあるし、意外なところに答えが転がっている事もある。
いつでも目の前の一つ一つに丁寧に向き合えば、今すぐではなくともいずれ何らかの形になって突然素敵な現象が起こるなんて事も、あり得るよね。

正に冒険のような、楽曲との出会いだった。


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