だったらやらなきゃいいという論調

多用してました、これ。
職場の愚痴を言われたら「だったら辞めればいいじゃん」
政治の愚痴を言われたら「だったら海外に住めばいいじゃん」
恋人の愚痴を言われたら「だったら別れればいいじゃん」
言うのは簡単、変えるのは困難、そしてこの論調を出された経験もたくさんある。

悪習を変えたいから、環境を改善したいから、ずっとここにいたいから。
そういう感情が根底にあるから、つい愚痴を言ってしまうこともあるでしょう。
例えばそれが家族だったら、家族って簡単にやめられるの?と極論も考えてしまうし、長く生きれば生きる程、答えはあっちとこっちで二分出来なくて、絶妙なグラデーションが展開している事を思い知らされる。

私がこの論調を持ち出されるのはライブにまつわる事が多かった。様々なイベンターさんや通訳さんなど、取り急ぎこの人がいないと成り立たないという立場の人がちょっと変な時に「あれも!これも!もーーー!!!」と言う勢いで愚痴を吐いてしまう事はある。そんな時に「だったら出なきゃいいのに」と言われた瞬間、違和感があった。自力でライブ活動をする私にとっては1回1回の "歌う場" が何より大切であり、その先にいるファンの皆様、私の歌声を初めて聴いてくださるまだ見ぬ方々に出会いたい気持ち、それを簡単に捨てろと?と疑問が湧いたのである。

その時、私は何より良いライブ空間を作りたいんだな、と自覚した。当然自身もより良い精神状態で歌いたいに決まっている。その為の環境を整えたいだけなのだ。

何も変える気もなく、何が理想かを明言もせず、解決策も求めず、ただ延々と愚痴を吐き続けられたら、そろそろこの論調出しちゃうよ?と思う瞬間は確かにある。
でも、少なからずこうなったらいいなと思う何かがあるから、つい愚痴が出てしまう訳で、だったらどこまでも自身の理想を掘り下げてみる時間も悪くないし、時には遠過ぎる理想論だって一言付け加えてみたら意外な人が同じ考えを持っていたりして扉が開くこともある。

だったらやらなきゃいい、と放り投げる前に、一回もがいてみるくらいの時間はまだあると思うんだよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?