見出し画像

「代々木忠監督からのラストメッセージ~性の深淵をのぞいたら人生変わった~」に参加して②

先月29日にオンライン開催された代々木忠監督引退イベント。冬の冷たい外気とは裏腹にうたたねしたくなるような午後の温かい光が差し込む自宅で一人スマホ越しに面接軍団の皆さんやヨヨチューファンの方とつながれたこのひと時は、こころ温まる宝物のような時間でした。


このイベントの前半戦では面接軍団の皆さんが代々木忠監督の現場で学んだことやそれぞれのセックス観を語って下さるのですが、その中で度々出ていたキーワードが、セックスの時に<相手に自分を明け渡すことの大切さ>について。自分を明け渡さないと相手も自らを明け渡してはくれないし、そうでないと代々木監督がもとめるような”まぐわい”には決して至らないと。
お互いに自分を相手に明け渡し、目を見つめ合い体を交えること。それは神経が集中している敏感な部分だけを性感帯としてマニュアル通りに刺激したり、粘膜をこすり合わせて射精を目指すような身体のみの交わりではなく、相手と自分の体の外側にある、目には見えないエネルギーをも混ざり合わせて文字通り相手と交じり合う行為。
お互いの境界があやふやになって溶けあうような、体験。

皆さんがおっしゃってたこの<明け渡す>という行為。
実際にやろうとするととても勇気のいることですよね。だって無防備になって自分を明け渡してしまうと傷つくかもしれないし、自分の大切なものを奪われてしまうかもしれないから。とても怖いことだと思います。
自分の柔らかなものを相手に差し出すのって。
だからこそ痛い思いをしなくて済むよう自分を明け渡す前に相手に対して確実な見返りや約束を欲してしまうし、いざその場になっても強固な壁が出て来てそれを越えられなかったり。アダルトビデオという、素っ裸をさらして今の世の中では圧倒的秘め事とされている性行為をカメラの前で見せるという、外にいる人間からみればある意味極限の仕事をされてる方たちなので、そんな業界にいる男優さんたちは基本的に自分を明け渡すことが出来るのかとばかり思っていたのですが、代々木監督のお話だと、むしろ自分を明け渡せない方のほうが断然多いのだと。
とても意外なお話でしたが、ミクロはマクロ、アダルトビデオの世界だけでなく、つまり世の中の主流はまだそちらであるということですよね。

私は女性なので自らの実感ではなくあくまでこれまで触れてきた情報をもとにした考えでしかないのですが、男性の方が<明け渡す>という行為への抵抗は大きいのではと思います。明け渡すって一見すると受け身に取れるのでこれまでの「男らしい」とされてきた支配/征服する・力強く振舞う行為とは逆ベクトルの行為に感じられ、旧時代的な男らしさの刷り込みが入っていれば入っているほど頑なになって無意識に拒んでしまいそうで。

衣服を脱ぎ捨て自分の身をさらけだしても心のパンツまで脱げてるとは限らないって、人って、人の意識って、興味深いです・・・。(勿論、個々人の性質によってばらつきはあるでしょうから、そういう傾向にあるのでは?という見解です。刷り込みが入っていても柔軟な人は自らのOSをバージョンアップさせてどんどん脱皮していきそうですし)

それにしても、本当の強さとは相手を支配/征服しようとせず、自分を明け渡せることだと、皆さんと代々木監督のお話を聞きながらしみじみ感じました。情けなさも弱さも隠さず出して相手に見せ自らを明け渡せる、強さ。
でもそれが中々出来ないから世の中にはたくさんのすれ違いが起こるのでしょうね。もしくは<明け渡す>ということを頭でっかちに考えて歪んだ解釈をして相手に不躾にぶつけたり。それもまた人の現といえば現ですが。

自らを明け渡すことが出来る面接軍団の皆さんがどなたも力みなく自然体でおられるように感じるのは、男性という括りを越えて最早人としてのそんな強さを備え、それをベースにした実践を重ねられてるからだと思います。(そもそも個性も性格もバラバラな女優さんたちと人と人として心を差し出し向かい合い続けるのって並大抵のことではないですよ。)
そして、代々木監督の現場で皆さんがそれを体感されるのは、きっと代々木監督の懐の深さが生み出す空気のなせる技なのではないでしょうか。ここでなら、この人の元でなら自分をさらけ出し明け渡しても大丈夫だと思える信頼感。

あぁ、他者への、信頼感・・・!
世界は敵ではないのかもしれないと気が付くこと。
瞬間瞬間にのみ生きていくこと。
あぁ、そっか・・・

無防備におぎゃあとこの世に生まれて時間と経験を重ね大人になっていく過程の、そのどこでこうなってしまったのか、私は他者をいつも怖がっていました。怖いから、誰に対しても壁を勝手に建造しては呼吸浅く接してきました。それが普通だと思っていたので、どうやら世の中の誰しもが他者といる時こんな息苦しさを感じてるわけではないと知った時、目から鱗でした。
この苦しさって人類のデフォじゃなかったの!?と。
そのことに気づいてからはコミュニケーション下手人間の僻み眼鏡のせいもあり、生まれ持っての性質や育ってきた環境等含め、自らを明け渡すのが自然にできる人がうらやましくてたまりませんでした。
とても息がしやすそうだし、肩も無駄に凝らなそうだし。

でも、そんな自分に悩み、その苦しさを脱したくてもがいていたからこそ出会ったものがたくさんあり、代々木監督の存在はその最たるものの一つでした。たかがセックス・されどセックス・しかし、たかがセックス。
その深淵をのぞくことは人の深淵をのぞくことで、その果てしなく広く深い穴は宇宙にも思えるような天上に繋がってることを感じさせてくれるヨヨチューの世界。
大仰な言い方になってしまいますが、私から私を解放する今生の人生ゲームの大きな鍵に出会えた嬉しさ改めて感じたひとときでした。

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?