税金とラグビーの類似性

いつも語り口鮮やかで、とても腹落ちする木下さんのnote記事。昨日の記事は、これまで言語化したくてもできなかったもやもやした思いを、非常に明快に言葉にしてくれていたので、シェア。

少し長いけど、特に納得感の高かった部分を抜粋してみました。

まちづくり、地域活性化=公益性のある取り組み、行政専売特許のような設定を行政が、といようりは「民間人」ほど持っているように思います。だからこそ、なんでも行政に押し付けてしまう。しかしながら役所も予算も人も青天井どころか、すでに枯渇状態にあります。そこにお前らの仕事だ、と押し付けた結果として、専門家でもない政治家や行政職員が外注した適当なコンサルによる活性化事業によって地域はさらに衰退することになってきてしまったのです。
なぜならば、地域のほとんどの資産は個人保有資産ですし、生活者の多くは公務員ではなく民間人です。特定エリアを再生しようと考えた時にも道路や公共施設は行政が保有していますが、まちにある店舗や住宅のほとんどは民間資産ですよね。商店街一つとっても、行政が持つ財産なんて道路くらいなもんで、そこに面している建物の多くは民間資産なのです。にもかかわらず、商店街の人達は「役所に何をやってもらうか」しか考えない時代が長く続きました。シャッター商店街になって放置しても困らない個人は公益どころか、隣近所で商売する人たちと共有していた利益である共益すら二の次とし、個人の利得しか考えことが多くありました。

「まち」は個人の集合、「まちづくり」は行政の仕事、というアンバランス

まちの資産のほとんどは個人が所有しているのに、なぜ、「まちづくり=行政の仕事」と考えてしまうんでしょうね。個人が動かなければまちは変わらず、行政も動けないのに。

行政に依存しつつ税金を払いたがらない。まちのために自分の資産どころか時間すら拠出したがらない。あげく、長期的な展望にたった行政の事業に声高に反対を唱える。

このアンバランスを、単に「ヒトは矛盾だらけの生き物だから」と言って済ませていいものか。いや、アンバランスであることすら気づいていない人も多いはず。

個人と公の最適なバランスは、役割分担と費用負担の関係から説明するとうまくいくような気がしています。

自分ができないことを誰かにやってもらう。当然その対価は負担する。反対に、誰かがやってほしいことをやってあげ、対価を受けとる。この関係は、個人vs企業にとどまらず、個人vs政府、企業vs政府でも成立しうるはず。政府相手の場合はこのバランスが崩れてもいい、という考え方自体に違和感があります。

税金は「サブスク」?

以前、下水道料金の負担に関するnote記事にも書いたのですが、時として、負担している税金の額を超えた過剰な行政サービスを求めている気がしており、このことを説明するのに「税金=サブスク」という勘違いがあるのではないか、と思っています。

決められた税金を払えば、ありとあらゆる行政サービスを要求してもいい、という誤解がないでしょうか

税金は、個人ではできない・メリットがないことを行政が代行することで、経済活動が活発化したり、将来のセーフティーネットがあることで思い切ったチャレンジができたり、安心して生活を送れるための基盤を整えるものです。

いうなれば、サービスを受ける権利を購入する「サブスクモデル」ではなく、将来に備えて相互に助け合う「共済・保険モデル」と考えた方が近いのではないかと思います。

サブスクなら、支払う額に見合ったサービスが受けられなければ解約することもできますが、共済・保険の場合は今すぐに怪我をしないからといってすぐ解約することはありませんよね。むしろ、必要な時が来なくてもいい、と思って安心のために加入しているのではないでしょうか。

「共済・保険」と似てるところもあり、違うところもあり

共済・保険会社が契約者から預かったお金を無駄に使うことは許されないと思いますし、適切な管理を行うように公的な機関が規制をしています。同様に、税金だって議会や監査室などが使途や成果についてしっかりと確認し、公表しています。

大きく違うのは、税金は支払が義務付けられており、払わなければペナルティが課されるという点。共済・保険は払えなければ止めることもできるし、解約も可能ですが、税金はそれができない。不満が募るとすれば、このあたりが原因なのかもしれません。

では、自分たちで、支払った税金に見合うサービスを調達できたとしたらどうでしょう。例えばアメリカのサンディ・スプリングス市では、既存の行政サービスに不満を持った人たちが新しい自治体を作っています。しかし日本の行政サービスにおいて、そこまでの労力をかけるほどの不満が発生するのか、改善への熱意が持てるか、と言えば、やや疑問です。

(もちろん、貧困問題や福祉など、個々の社会課題に限定すれば多くの不満があり、改善熱意のある人はいると思います。しかし、税金という限られた予予算のなかでは、どうしても使途は最小公倍数とならざるを得ず、そこから零れ落ちる課題が発生するのは致し方ない面もあるはず。もちろんそれでよいわけではなく、そのような課題をどうやって拾い上げ、社会全体で解決していくかというのは、また別の課題です。)

税金は、強制的に徴収されるものの、その使途は政府が責任をもち、社会全体のためになることに限定して使われる。使途の決定プロセスについては、透明性・公平性の観点から、議会等で第三者の目を入れながら適切に処理されている。

この仕組みが機能している限り、「責任分担と費用負担の原則」はちゃんと守られているのではないかと思うのです。

税金ってOne for All, All for One なのかも

とはいえ、逃げられない「税金」という仕組みの中で、どうしてもサービスレベルに不満を持ってしまうこともあるでしょう。そんなときは、自分が行政サービスの担い手となる、というのも一つの考え方です。

例えば企業で働いている人なら、行政から業務を受託してより良いサービスを提供する。NPOで活動する人なら、行政との協働事業を提案してみる。

それ以外にも、まちづくりや子育て支援のボランティアを始めてみたり、道を歩きながら目の前のごみを拾ってみたり、下水道に流す汚水を減らしてみたり。。。行政コストを減らしながらよりよい社会に貢献する方法は、いくらでもあるはず。

「お金を払っているんだから、期待する水準の公共サービスを受けるのは当たり前」という意識を変え、「全員のために税金は使われるもの。自分でどうにかできる範囲のものは自分で何とかする」という意識がもっと浸透していくことを願ってやみません。

これって「一人が全員のために、全員が一人のために。」ですね。この言葉がラグビーだけじゃなく、税金を語るときにも使える合言葉になってほしいです。


・・というわけで、だいぶ遠回りしてしまいましたが、表題で言いたいことがやっと言えました。

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