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土用の丑の日でファミリーヒストリー

土用の丑の日。
地元商店街のお魚やさんに予約。
お店の奥で、朝から炭火でやいてくれる。

後期高齢者と中期中年?のふたりなので、
小さくていいです~とお願いしていた。
しかし、なかなか肉厚(というのかな?)なものが
やってきました。
ふふふ。

うなぎ、、、で、父の昔話のはじまり。
「金がないもんやけ、じいさんとそこの川で、うなぎを捕まえて、市場に売りにいきよった」

そこの川、というのは、市内を流れる川のこと。うん、ほんと、そこ。
うなぎ、、、いたんだ。。。天然、というのか。

おとーさん!
今日のうなぎは、鹿児島、です!!

あ、ちがう、
ムスメよ、今日のうなぎは、大隅産!
そこの川のじゃないよ!!笑。

そして祖父は、米町の呉服屋さんにて番頭さんをしていて、
大番頭さんというのは、ほかにいたらしい。
先輩、というのかな。

その米町の呉服屋さんが店を閉めるとき、
大番頭さんは、デパートの呉服売り場へ。

祖父は、自分の店を構えた。
国鉄の工場のところのこうき部のみなさんが
お客さん。

祖父は、田川方面にも行商へ。
そこで、炭鉱をもっていたひとに祖母との縁を
もらったそうだ。

うん、祖母の田舎は、田川のね、うーんと奥のほう。
何度かいったことがある。もういまは忘れた。

工場のみなさんが、羽振りがいい?ので、
祖父は、父を国鉄に入れたがった、らしい。

どうコネがあったのか、父の努力か、
父は、うまいこと国鉄に就職。

父のすぐ下の弟も、父の口添え(と、本人はいう)で、国鉄へ。

着物から洋服が主流になったり、戦争だったりで、
着物がうれなくなり、
祖父は呉服から寝具にとあっさり商売変更。

ムスメがおぼえているところでは、
寝具店は、父のおとうとのおとうとが継いでいた。(つまり、叔父)

祖父はすでに隠居。
店舗の奥が作業部屋で、
布団生地を広げて、ふとん綿を重ねていくようすを
みていたことをおぼえている。

ぺたんこになった、おふとんは、
母が、お店が休みの日に作業場で、自分で綿をうちかえてもいた。
ふとん綿を交換するのを、綿をうちかえる、っていってた。
ギョーカイ用語?

綿がね、ふわふわ部屋中を舞うの。
部屋がまっしろになる。

おかげで、わがやは、いつもふかふかのおふとん。

母は、お裁縫ができる人で、
子どものころ、よくお洋服を縫ってくれた。
なんちゃってプレタだw

地元商店街の”白樺”でお洋服を買ってもらってもいた。
(こどもながらに思う、ちょっと高級なお洋服やさん)

小学生のとき、朝顔の柄のワンピースが大好きだった。
とてもよくおぼえている。
おおきな朝顔が蔓と、いくつも淡くにじんだように描かれていたノースリーブのワンピース。

スモーキーパステルで、ブルーベースの自分にぴったりだ。
生意気なこどもだ。

いま、カルディがあるところが、ロイヤルといっていて、
2Fにカフェ(当時はなんていったのかな?パーラー?)があって、
そこでプリンアラモードを食べるのが好きだった。

父が、着道楽なので、
遅くできたムスメも、その血を受け継いでいる。
色黒のやせっぽっちなムスメだけれど、
お花がついた、ふわっとしたかわいいワンピースをきせてもらっていた。
(似合わね~~~~笑)

レースのついた靴下に、ワンストラップの靴。
まぁ、サリーちゃんとかアッコちゃんとか、そのあたり。

あぁ、うなぎ、から、
なんちゃってファミリーヒストリー、でした。

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