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人生の棚卸 ~0-9歳:敬語を操る5歳児。両親の離婚。弟との別居~

皆様、こんにちは。コザワです。
最近、めっきり寒くって、本当に辛い…
風邪などひいておられないですか???
中米のベリーズに住んでいた頃は、1年中30度だったので半袖しか必要がないような状態。最高だったな。早く、春が来ないかなぁ~。。。

さて、これから、自分の人生の棚卸も含めて、ザザザっと34年間をまとめたいと思っています。「お前の人生なんぞ、興味ないわ!」という感じかもしれませんが、少々、お付き合いいただけましたら幸いです。

人生の変遷まとめ

①0-8歳 :敬語を操る5歳児。いいとこの内向的な箱入り娘
②9歳  :両親の離婚。弟との別居。居候
③10-15歳:人生MAXピーク。学校改革を起こす生徒会長
④16-18歳:青春の喪失期。金髪ガングロ女子高生
⑤19-22歳:グータラ大学生から、海外一人旅へ
⑥23-26歳:リクルート入社。ダメダメの終わってる新人
⑦27-29歳:営業としてフィーバー。楽しすぎる仕事
⑧30-31歳:マネージャーになり、学んだマネジメント
⑨32-33歳:中米ベリーズへ移住。現地で起業
⑩34歳→今:ベンチャー企業へ入社。3足の草鞋

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①0-8歳:敬語を操る5歳児。いいとこの内向的な箱入り娘

愛知県江南市という名古屋から車で1時間ぐらいのところにある織物の工場を経営している家系に生まれた。そのエリアは元々織物の町で、織物工場がたくさん在るようなエリア。ただ、現在では、海外で安くて品質の良い織物がたくさん出回っており、近所の工場は経営が立ちいかなくなり、倒産が相次ぐ。そんな中で、もはや何代目かよく分からないというほど、代々受け継いできた父たちは、何とか経営を存続させるべく、フランスのセリーヌに営業へ行くなど、必死に営業をしている様子だった。

私はというと、3歳下に弟がいるのだが、「良いお姉ちゃん」を演じるのに必死だった。

物心ついた頃から、「おじい様、〇〇様がお見えになりましたが、いかがいたしましょうか?」というように、バリバリ敬語を操る保育園児だった。というか、敬語以外、知らなかった。今思うと、少々不気味だ。

小学生になると、毎日、図書館で本を借りて、弟に読み聞かせる。テストも95点なら、なぜ5点を間違えたのか?と言われる。とにかく、今の私からは想像もできないぐらい、内向的で、クラスでも目立たない存在だった。

どうやら私の幼少期の状態は、【偽成長】という名の虐待らしい。多少大げさではあるが、「自分らしさ」というものの欠片もなく、とにかく演じるのに必死な子どもだった。


②9歳:両親の離婚。弟との別居。居候

元々、「ジュリアナ~!ボディコン~!」みたいなじゃじゃ馬娘だった母。彼氏と別れた腹いせに、お見合いをし、何となく結婚。

当然ながら、うまくなんて、行かない。

結婚生活10年間の間で、祖父母からはいじめに近いような感じで揶揄され、父は母を守ることなく、何度も涙していた母。それを子どもたちには隠し、いつも笑顔でいたが、やはりチラチラ見える母の涙は幼心に苦しかった。

そして、母34歳(今の私の年齢か…)、私が9歳、弟が6歳の時に、いよいよ、3人で家を飛び出す。3カ月間ぐらい、住む場所を転々とし、追いかけてくる父親たちから逃げ続けた。だから、その3カ月間は、学校に通っていない。

そして、母の実家である愛知県小牧市で、暮らし始める。

母の実家は、地元のガス・水道屋さん。ザ商売屋!という感じで、家に帰るとお客様がいらしたし、昼ご飯は従業員さんと食べる。夜ご飯の会話は、大概、仕事の話。

私は、そんな「お客様に対して、こんなことが出来るんじゃない?」「もっと、従業員さんにこんなことを還元していけると良いよね」「会社の売上を伸ばすために、新規事業やろうか」などという会話を聞くのが、めちゃくちゃ楽しかった。

今思うと、完全に、商売の英才教育w

「お金をいただく、その価値を返す」という感覚は、自然と身についた。

母側の家族は、優しい祖父、豪快な祖母、お父さんと呼んでる伯父、優しくて賢い伯母、同い年と2歳上の従兄弟。この6人と母、弟、私の9人家族で育った。とにかく、明るい家庭で、毎日、笑い声が絶えない。従兄弟たちと4人兄弟のように育ててもらったし、エレクトーン買ってもらったり、色んな習い事をさせてもらったり、冬にはスキーに行こう!と計画したり、何不自由なく、生活をさせてもらった。

もう受け止められないほどの愛情を注いでもらい、「自分らしさ」をもっと出していいんだ!いう心理的安全性を感じて、徐々に、自分の社交性を磨いていった。

そんな時に、事件が起きる。

小学1年生の弟が、実の父・祖父・叔父に、登校中に拉致。泣き叫ぶ弟を、無理矢理車に乗せて、連れ去った。父側としては、跡取り息子が欲しいという大人の事情。そこから約1年間、離れ離れになってしまったのだ。母が何度会わせてくれ!と懇願しても、門前払い。学校でも、同じ状況。

毎晩のように、母たちと泣いていた。

母が、いつものように父側の家へ訪れ、帰れ!と言われた時に、弟が2階の窓を開けて、「僕、スキーに行きたい!!!」と叫んだ、ということもあった。母は、泣きながらその話をしてくれて、絶対に親権は私が取る!と言って、裁判へ挑んだ。

そして、1年後。

裁判で、親権は母のものとなり、弟が返ってくる。

元々、笑顔の可愛いかった弟が、能面のように笑顔を無くし、喜怒哀楽が持てないほどの状態になってしまっていたのだ。もう、その様子は衝撃的だった。

その時に、私は、「半径5m以内の人が、幸せであってほしい」という価値観をモットーとし、今でも、自分の一番重要なものである。逆に、周りの人が、少しでも、辛そう、苦しそうって感じると、居ても立ってもいられなくなるし、そんな人を作りたくない。


では、長くなってしまったので、続きは、次回のnote人生の棚卸 ~10-15歳~で~!
初回でまだ9歳って、、、これからどれだけかかんねん!

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