見出し画像

避難所としてでも作るついでのアレ

絵をかくモチベーション

最近は絵を描く気力が落ちてしまいがち。
AIがぽんぽん生み出す画像のほうが時間をかけたものより
きっと要点を捉えてて美しいし時間がかからないというのも
あるけど自分の書く絵の自分の良さがわかっていないのが
原因かもしれない。

AIが悪いというわけではない

技術の発展にはAIはきっと必要でより良く
省コストに色々なものが作られていくし
その全ても誰か研究する人が毎日コードを書いて
努力をしているのは解るのでAIが悪いという風には思わず
こういう時代なんだろうなあ…と思う

昔と違う初期コスト

昔に絵を書こうとしたらまずPhotoshop、スキャナが必要
だった時代の人間なのでそのうちSAI→clip studio→Photoshop
サブスク化なので圧倒的にコストが下がり
小さい頃から触れやすくなったということもあると思う。
実際に絵を書きたい!という姪っ子に液タブや板タブを
お下がりとしてプレゼントをしたらめきめき上達していて
興味関心のある子ならばとても良い環境にはなったと思う。周りには努力や営業をとても頑張ったうえでプロになって
行く人々を見守ったのでその裏ですごく努力をして
その人が書いたものだなあって解るものまでが
AIに名前入力をするだけで生成できるようになるのは
うーん…というか学習させる側のモラルもあると思うし
法もしっかりしていないわけでそれで金銭を稼ぐとか
そういうことがあったら長年かけてその人の培ってきた
技術が簡単に模倣できるというのは恐ろしいな…と

趣味ですらうーん?となるぐらいなのだから
努力をしてきた人間からすれば憤りも感じるだろうな…
という気持ちがすごくわかるけれど
AI作成する側からすれば自分も努力している!と
別ベクトルの努力でそのものを食べさせてしまうという
難しいな~、、発展させたり学習には必要かもしれないけど
自分の書いたものでは学習にならず他人の絵を食べさせる
のはいかがなのかしら…と倫理的には思うんだけど
技術側はそういうのを考慮しなくて罰せられるわけじゃ
ないならいい!というなら創作意欲が落ちるというもの…

と長々つらねつつおふとんに入る午前七時


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?