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きらきらとしている

ただの雑記


三日坊主だから思考したことを残すだけ

目をつむると真っ暗なわけじゃなくて基盤というか毛細血管?
光のチカチカした点滅がして、眼球が直前に見ていたものの
刺激を変換して私にだけそう見えるような景色は
その瞬間の色も形も誰かに共有することなんて一生できないんだけど
クオリアが人それぞれあるように
それを共有できてしまったらってちょっとぞっとする
感情を理解して欲しいなんていうのは一時的な我儘だからいいわけで
永遠に思考を覗かれるのは私にとっては苦痛なんだろうなあって
誰かと過ごす時間も確かに楽しいしそれは刺激に変わりないんだけど
一人でいたい時間に一人で過ごすのは自分にとってはとても大事で
誰にもそこに鑑賞してほしくない所ってあるよね?
触られるとゾっとするというより整理嫌悪感を覚える記憶というか
トラウマになりきってないトラウマが自己嫌悪感を植え付けてるのは
わかってるんだけど他人には笑い話にして話しちゃうんだけど
自分の中でこれは正しかったのか、正しくなかったのかなんて
答えがないことをずっと自問自答するから
その正しさすら個人で左右されるものだって知ってはいるんだけど
今の自分の今のものさしでこれくらいの視線で
他人もこのくらいで私のことを見てくれればいいという視点に合わせて
ずっとパズルを解き続けてるし、これは多分正しいの正解を
自分が見つけるまで永遠に続くんだろうなって思ってる。

そしてそれがずっと見つからないことも死ぬまでわからないから
死んでも何が正しかったかなんてきっとわからないままだなあ。

答え合わせをする人生よりも答えを探した方がきっと
楽しい、価値があるって解っているのに考え方がどんどん
自分のできる範囲に絞って狭くなるし、視界が狭まるっていうのは
こういうことなんだろうなって思う。
体力がない、時間はあっても動くまでの気力が持たなくて
自分ができる範囲での最低ラインで動こうとする癖を持った
この癖は固定観念になってしまって自分のことも他人のことも
ある程度のパターンに当てはめてしまって大体が当たってしまうと
思考停止をするほうが確かに楽ではあるんだけども。

トラウマも複雑性PTSDも原因の解明というより
原因が解ってしまっている分、過去に戻る事ができない以上
忘れようと意識したら思い出してしまうし、
忘れようとも意識をしなくてもなにかの拍子で
ふと記憶の片隅から出てくるのが問題なんだよなあ
季節、景色、匂い、雰囲気 なんて正確に記憶しているわけじゃない
でも脳みそはきっと覚えているからその時に感じた通りの
感情に準えて準備をしても自分の感情がそのときと乖離するせいで
パニック発作に繋がったり、過呼吸を起こしたりする
薬を飲もうが何をしようが呼吸をしてる限りは続くんじゃないかな
ピンポイントに脳みその記憶を忘れられるようにする薬とかが
未来にできたとしてその部分の穴埋めはどうなるんだろうとか
すっごいくだらないことをだらだら考えちゃうこの深夜の空気感

息を吸って吐いてそれを繰り返して朝も夜も区別もつかなくても
体が生きていてしまうかぎりは、仕方ない事で
ただ死ぬ勇気がないわけでもなくてどうせ生きてたら急がなくても
いつかいきなり来るものを自分で早めるのも下らないなって
まあそれでも消えたい早く死んじゃいたい辛いみたいになる日もあるんだけど
日によって波があってそれが人間だからいいやって思ってる。
だから死ぬのが怖いっていうよりはいつか来るものだから来たらその時で
いつ死んでも楽しかったって思えるように生きているつもりなんだけど
それをするためにはやっぱり周りにいる人間が少ないほうが
ずっと私にとっては楽らしい

みんなに看取られるよりもそういえばいなくなってたね

という自然に病気だろうが事故だろうがいなくなるのが
理想なのに自分が大事にしていた人には
私がもしいなくなっても忘れないでねってすくなからずとも
あまり思ってもいない言葉をかけている。
世界に未練を残して執着していたら生きたい人間に
見えるかなって、そんな思考なのに。
まあ身近な身内がこんな文章を見たところで何も思わずに
私はそういう人間だったなって思う所までがちゃんと想定内で
飛び降り測って死んじゃった子が搬送中に生きたいっていったみたいに
衝動的に飛び降りしたくなるほど辛いことがあったら私も
いつかそうなるかもわからないし。
期待は少ないほど毎日が繰り返しでそれすらも幸せだと
自分に毎日言い聞かせて自分を生きるのが精一杯なんだよなあ

目の奥の光が真っ暗になったときは
きっと何も考えなくて良くなったんだよって
その時ぐらいは自分を褒められたらいいな

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