推しのすべては愛せない-I Hate Something About My Fave-

「推し」ってなんだろう?って時々考える。その人、そのキャラクターを好きだと感じれば、軽い気持ちで「推し」って言うことができる(世の中にゃそれを認めてくれない人もいるらしいけど)。直球に受け取るならば、QOLを高めるいい言葉だと思うね。推しのために何かを頑張る、なんてことが出来るんだから。

でも、俺が疑問に思ったのは、世の「推し」を持つ人達は、「推し」の全てを、何一つの例外なく愛しているのだろうか、ということだ。

どういうこっちゃ?と思った人に補足説明。例えば、自分が絶対許せないことを、自分の「推し」がしていたと知ったら、それでも「推し」を好きでいられるのか?ということ。まぁこれはあくまでも一例だけれども。

実際、俺は過去にこのような事例で推しを嫌いになったことがある。普通はそんなこと起きないって?それはどうかな。意外とみんなも経験あるんじゃない?

過去の例はあんまり思い出したくないので封印しておくとしまして、俺の現在の推しを例に挙げて、俺は全てを愛することが出来てるのか、試しに考えてみよう。

まずは「アイドルマスター ミリオンライブ!」の百瀬莉緒。最近俺が、ぬいぐるみやアクスタ、タペストリーなどのグッズに貢いでいる、言わば推しの主力だ。結論から言うと、今のとこ莉緒ちゃんは大好き。嫌いなところを挙げろって方が無理。ただ、今後のガシャ更新やらイベントやらで、気に食わない印象が植え付けられてしまったら、その時はバッサリと切り捨てちまうと思う。自分が好きな莉緒ちゃんのイメージを守る為にコミュを読まないようにはしているが、コミュが全てではないので、嫌でも新しいイメージは更新され続ける。その更新されたイメージに、自分が失望してしまうのが恐ろしくてたまらない。大好きだったはずの莉緒ちゃんを、たった一瞬で嫌いになってしまうその瞬間が来ないでほしいと願うばかりの毎日だ。

莉緒ちゃんのことは今は好きだが、今後嫌いにならないとは言い切れない。じゃあ俺は、莉緒ちゃんの全てを愛せてると言えるのだろうか?うん、この答えを出すのは時間がかかりそうなので保留で。とにかく、全部好きだったものでも嫌いになるかもしれないよということだ。

次に「乃木若葉は勇者である」の郡千景。こちらは小説を読んで推し(嫁でもある)になった。性格や容姿、その辿った運命は大好きなのだが、実はまだ読んでない小説「勇者史外典」で、遺体のその後が描かれているらしい。どうやら、そこで出てくる巫女が、千景と彼女の想い人だった高嶋友奈の間に割り込むような真似をしているらしい。嗚呼、これではぶち壊しだ、と俺は思う。トイ・ストーリー4や、オーズの「復活のコアメダル」と同じだ。こんな「その後」認めたくない。間違いなく千景に起こった出来事なんだろうが、こればっかりは許せない。千景の真の結末を、愛することはできない(読んでないのに何言ってんの)。

「えむえむっ!」の石動美緒に関しては、ドSで自信過剰、でも真摯な一面もあるというところは好きだが、あまりにも素直になれなさすぎるのが焦ったくてなんかなぁという感じ。

「仮面ライダービルド」のエボルトは、軽々しい言動やチート性を見せつけるところは大好きだけど、物語の進行上嫌いにならざるを得ないところがある。

こんなふうに、たくさんいる推しのことも、俺は1から100まで愛せてはいない。嫌いな部分はもちろんある。だから、「この子の全てが大好きなの!」って言ってる人見ると「本当か〜?」とか、「すげぇな」とか思っちゃう。

「推し」って、その全部を好きだから推しになるのか、一部分だけでも好きなら推しなのか、分からなくなる時がある。みんなはどっちの意味合いが強いんだろう。もし、前者の意味合いが強いならば、俺には「推し」と呼べる存在はいないことになる。それはそれで今後の言い方に困るな。

俺の持論というか願望としては、もし嫌いな部分があっても「推し」と言っていいと思う。俺にとっては、推しの全てを許容することは、めちゃくちゃ難しい。めんどくさい。でも、許容できる部分が上回っているならば、今はそれでいいじゃないかと。今後心変わりでもしたら、その時は推すのをやめちまえばいい。苦しいだろうけどね。推しに対しては、無理に許容しようとしたり、好きでいようとしたりする姿勢はあまり良くないのかもしれない。

好きになるのも簡単、嫌いになるのも簡単だけど、1番難しいのは、「愛し続けること」。それが「推し」ってもんなのかなぁ、なんて思う。みんなはどう思ってるんだろう。

それではまたnoteを書きます。

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