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写真の本質

ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではない。
狩りとは何か? パスカルはこう言う。
狩りとは、買ったりもらったりしたのでは欲しくもないウサギを追いかけて一日中駆けずり回ることである。人は獲物が欲しいのではない。

—『暇と退屈の倫理学(新潮文庫)』國分功一郎著


たとえば写真を撮りに出かけて、さあ撮るぞとカメラを取り出した時に「写真撮っておきました、よかったらあなたの作品として使ってください」とめちゃくちゃいい写真を渡されたら、その日はもう写真を撮らないか。


ウサギが欲しくて狩りに行くのか。狩りがしたくて狩りに行くのか。
いい写真が欲しくて撮るのか。写真を撮りたくて撮るのか。

僕の写真の本質はこの辺にあると思っている。


少し前にXで話題になっていた「写真の本質」
自分でも少し考えてみた結果、結局同じところに帰結する。


世間一般的な写真の本質は
記録、アート、証拠、文化、コミュニケーション このあたりだろうか。

写真を撮るのが楽しいから写真を撮る。
使っているカメラや撮った写真画像に本質はない
というのが僕の考え。

仕事ではなく趣味だからこう言えるのだと思う。


最初の本の引用には続きがあって、パスカルはさらにこう言っている

退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、みじめな人間の運命から目をそらしたいから、狩りに行くのである。

—『暇と退屈の倫理学(新潮文庫)』國分功一郎著

違う!
断じて違う!
暇だから撮るんじゃない。撮りたいから撮るんだ!




皆さんの考える写真の本質もぜひ教えて欲しい。

それでは。



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