『下手なりに君と踊りたい』

#1 自分について

 昔から性格に難があることは自覚していた。具体的に何処が、と訊かれると困るが、総じて人として大事な何かが欠落しているという感覚だけはもっていた。思春期特有の、自分が他とは違う存在なのだと思いたいあれかと思っていたが、どうやら”本物”なのだということに気づくことに、多くの時間を必要とはしなかった。やたらと独りを好み、集団で何かを成すことを馴れ合いだと云って馬鹿にしていた。彼の冷ややかな眼差しは、集団の枠組みそれ自体だけでなくその内部の人間たちにも向けられた。夢中になることを盲信だといって嘲り、どこまでも俯瞰(メタ)でものを見れていると思いたがっていた。特に同性への嫌悪−同じ穴の狢(むじな)のくせして−は酷かった。所詮自分以外の男などは、自らの性的快楽に耽溺することしか能がない連中だと思っていた(その割には、彼は目鼻立ちのはっきりした女性を是とする癖を持ち合わせていた)。傍若無人と云われるほどの、粗暴さを内に含んでいるとも思ってはいなかったが、確実に云えるのは聖人君主から最も遠い位置にいるという自負であった。はじめて親に口論で勝ったのは小三の秋であった。クラス独自の通貨を造って法外な値段で課題を代行し、担任に締め上げられたのは中二の夏であった。アイドルの語源が”偶像”だということを用いて、クラスの女子にいかに”奴ら”が虚構であるかを諭して泣かせたのは−妄想の中であった。

 次第に大きくなる雨音を聞きながら、彼はこれまでの半生をおもむろに省察していた。彼は思索に耽ることが好きだった。思索が、というよりは、思索している時の自分が好きだった。この時だけは、”現実から目を背けない”という現実逃避ができたからである。此処は何処か。私は誰か。此処ではない何処かで私は私たりえるのか。

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 安芸県川江市−人口70万人の地方政令指定都市で瀬戸内海に面し、おもに縫製産業で財をなしたが、最近は、より安価なアジア産の勢いに押されて、衰退の一途を辿っている町−のことは、小学校時代史跡をめぐる社会科見学で洗脳まがいの教育を受けてきたからよく心得ていた。生まれも育ちも川江っ子の彼は、特にこれといった将来の夢も抱くことなく、若者特有のアパシーと一緒に、何となく、県内ではそこそこ名の知れた大学に進学し、これまた何となくの理由で哲学を専攻した。もちろん、大学に入る前から人間性は終わっていた(そもそも始まってもいない)が、彼がそこで出会った思想家たちが余計に彼を絶望の縁へと誘ったのであった。フィヒテやヘーゲルといったドイツ観念論の理論家が描く世界に心酔し、カントで挫折し、ニーチェにとどめを刺された。彼のようなつまらない人間にとって、ニヒリズムに与する生き様をまざまざと見せつけられるとすぐに影響を受けてしまうのである。常識からはみ出していれば誰でもよかったのである。それがブルーハーツなのか、尾崎豊なのか、ツァラトゥストラであるかなどは大した問題ではなかった。すぐに酔っぱらえる悪酒−このつまらない人生を酔わしてくれる悪酒−を彼は欲していたのである。こうして遠野青という人間が”出来上がって”しまったのである。

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 雨の日に長い坂を自転車で上がることの理不尽さは、高校卒業と同時に棄てたので、彼は金はなくともバスに乗ることをささやかな矜持としていた。バスの窓につたう雨水が、泣きたくても泣けない彼の代わりに泣いてくれてるのかと少し心を打たれかけた。人間の感情の移り変わりと天候を重ね合わせた第一人者に合わせてもらいたい。きっと美味い酒が呑めると、彼はパイオニアの都合お構いなしに考えていた。
 陸橋を上ると次第にこの街の中心部が見えてくる。歩道に目を配ると、ここ辺りにある女子校とおぼしきセーラー服を着た女子高生たちが傘を刺してぞろぞろと帰宅していた。丁度今ぐらいの時期に確か大学入試があり、試験会場として校舎が使われるため、午前中に帰らされるのだったと、彼はひとり納得した。生徒指導から厳しく云われているのかどうかは知らないが、他の歩行者の妨げにならないように一列に並んで帰っている。彼はそれを、"参勤交代"みたいだなと思うと同時に、県下有数の阿呆が通うこの学校の小娘たちが、歴史の内容を覚えているわけないと考えた。「まあ学校の授業はつまんねえもんな、、、」彼は小さく独りごち、"蟻さんの行進"を見送って、バスはゆっくりと動き出した。

 橋を一本渡ってすぐの交差点で、黒いワゴンと原付の衝突事故が起こったせいで、バスのダイヤは大幅に乱れ、彼はアルバイトを遅刻した。


※登場する人物、地名は全てフィクションです。

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