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いい夢をみる(6) ボールペンの踊り

すごく面白いのに、悪夢を見る作品がいっぱいある。
悪夢を見ると一日嫌な気分になる。
だったら逆に、いい夢を見れる文章が書けないかと思う。
特に死にたい人にはいい夢を見てほしい。



ボールペンの踊り

ボールペンの踊りは、人それぞれの癖がでる。頭とお尻がくるくる動く。芯から見た動きを記録してみればはっきりとわかるだろう。もしも手紙を書く機会があれば、ボールペーンの踊りを眺めてみるといいだろう。書くことそのものよりも、瞬間の踊りというものが記録されずに流れてゆく。美しさを発見して、それをお皿の上に載せるのが美術というものだと、ボールペン父は言った。だが、ボールペンは思った。この世界の大きさに比べたら、お皿などというものはごくごく小さい。だから、この世の美しさは美術館には乗り切らない。では、土を美しいものとしてみたらば、地球の全てが美術館になる。どうして美術館の上で戦争ができるのだろうか。ボールペンはそんなことばかり考えていて回るのに夢中になった。ハッとした時には遅く、ボールペンは気安く捨てられてしまった。悲しいボールペンは街を彷徨い歩いて、不動産屋に入る。不動産屋ほどボールペンを愛している仕事はない。そう思っているのはボールペンだけであり、本当はそうでもない。だけど、そんなことはどうでもよかった。ボールペンとインクペンとの違いが最大限活かせる気がしたからだ。人間もこの直感というものを本当はわかっている。だけど見て見ぬ振りをする。不動産屋の主流はインクペンであったが、不動産屋の主人はボールペンをたいそう喜んだ。彼は奇跡的にインクペンに支配された世界に疲れていた。久方ぶりのボールペンに安心した。ボールペンも安心して、眠りについた。その晩見た夢の踊りは空を舞うような軽さがあった。気分が軽くなって目覚めたボールペンは、主人と今日の仕事に取り掛かる。なかなかに繊細な感覚を持っている不動産屋の主人は、軽くなったボールペンに驚いた。そして自分も軽くなった。これは良いものを拾ったと大満足。町中に自慢して回る。自身も回りながら町を回る。自らの自転と公転の周期を計算して、自らボールペンで記す。そしてその紙を近所の美術館に収めた。軽くて良い美術館になった。浮かんでいる美術館に入るためには、人々も浮かぶ必要があった。眉間にシワを寄せていたら入れない。眉間の力を床に置く。足のりきみを川に放り投げる。お腹の重さを風船にして、いざ参ろう空中美術館。紙の作品の他に、静謐に同じボールペンが並んでいるだけの展示がおかしかった。それを見る人々が澄まし顔であることが滑稽で、床にたくさんの油を撒いた。つるつる滑る人々。皆一様に、手にはボールペン。私は淡々と、その軌跡を記録した。あまりに楽しくてよだれが垂れた。よだれでボールペンの踊りが滲んだ。ボールペンも滲んだ。何もかもが混ざっていく。そしてとびきり綺麗な色になる。かき氷のシロップを全部混ぜたときの落胆はもうない。あの時の色が、ついにできた!

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