見出し画像

真理の時間

「真理は、破砕せんばかりに時に充電されている。この破砕が、ほかでもない、志向の死であり、この死はつまり、ほんものの歴史的時間、即ち真理の時間の誕生と同時に起こる。この瞬間、志向は死ぬ」。
 ベンヤミンはピレネーの山中で自殺したが、彼の言葉は死ななかった。それは彼が真理の時間に到達したことの証左ではないだろうか?
 私達は真理(あるいは真実)を追い求めながら生きているが、ほとんどの人間は真理とは邂逅せずに死ぬ。その理由はほんものの歴史的時間が誕生した瞬間に、私達はそれに気付かず何の感銘も受けないからである。私達は待ち望んでいたものを目にしながら、その本当の価値に気が付かない。それは、真理というものは特別な事象ではなく、ありふれた日常に含まれているからである。
 プルーストにとっても、同じである。彼にとっての真理とは、無意識的記憶の中に存在する。カントの言ういわゆる現象のその先に、プルーストは真理を探し求めたが、それを見た瞬間に彼はその意味を失うのである。
 この時代の知識人にはユダヤ人が多い。それは、彼らが時代の要請を見抜く能力があったからであり、そして迫害を受けていたからでもある。      
 しかし、私達は真理の時間を目にする可能性は持っている。そこに欠けているのは、昔のお年寄りの知恵である。核家族の不幸。昔はよかったと言うかもしれない。それは、私達が見る集団の夢であり、リアリティが損なわれている。
 真理の時間とは、死と深く結び付いた何かであり、そこから新しい時代が始まる。それは、家父長制の死であり、女性や同性愛者の復権でもある。ベンヤミンは自由でもあったし、不自由でもあった。彼にとっては、真理は自由そのものであり、それを失うことは、耐えがたい何かだったのである。
 ベンヤミンはあまりにも早く生まれ過ぎたのである。

        fin
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?