見出し画像

凡庸な悪

 アーレントはホロコーストの戦犯であるアイヒマンを「凡庸な悪」と呼んだ。彼は何百万人ものユダヤ人を収容所に送り虐殺したが、それは彼の希望というよりもヒトラーの命令にひたすら従っただけであった。彼には自分が人を殺すという意志はなく、ただ無思考に上司の命令=正義と信じていたのである。
 アーレントは無思考をひたすら嫌悪したが、そこには「考えなければ人間じゃない」という強い思いがあったのである。それはアーレントがユダヤ人であったことと深い関係性がある。思考することで、やっと自分を保っていたのだろう。それが彼女の思索の深さに繋がるのである。
 反対にアイヒマンには思考する必要性はなかった。だから、ナチスの高官になりユダヤ人殲滅に手を貸せたのだ。
 今の日本はどうだろうか?全体主義の芽があちらこちらにはびこっている。情報に目を奪われて思考をなおざりにしている。それは新たな戦争を生み出すかもしれない。
 哲学というのは、難しい知識を咀嚼するためにあるのではなく、それを基礎にして自分なりの思索を作っていくためにあるのだ。今からでも遅くはない。凡庸な悪として社会の歯車になるのか、新しい未来を作るために思考して人間性を取り戻すのか。私達の選択の一つ一つに重みがかかっているのである。

         fin

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?