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過去

私たちは過去をなかったことにできないのと同様に、過去を克服することもできないが、過去を受け止めることはできる」。アーレントの言葉である。
 私達はよく、過去を克服すると言うが、それは本当に可能なのだろうか?過去とは過ぎ去った歴史のことであり、勝者の記録である。けれども、敗者にも彼らの歴史があり、記憶として残り続ける。それらは勝者に断罪され粉々になっていても敗者の心に誇りとして存在し続けるのである。記憶とは勝者に改ざんされなかった記録でもある。
 過去を克服するとは、過去に起こったことの記録を調べ、その原因や結果を断罪することで、未来を変えていこうとすることである。けれども、その記録は勝者のもの、あるいは傍観者のものであり、敗者のものではない。また、敗者の記録ではあっても、それを調べるのが勝者である限り、そこには必ずバイアスが存在する。それはつまり、敗者の記憶の抹消が行われるということだ。
 過去を克服するとは、敗者が勝者によって作られた記録を克服することになってしまうのだ。それは大きな差異となって、私達を混乱させる。何故なら、敗者の記録も勝者の記録もどちらも自分達の側から見た真実を映し出しているからである。真実とは両者が交錯するところに存在するのではないだろうか?従って、敗者が、勝者が作り出した過去を克服することはありえないのだ。
 けれども、私達は過去を受け止めることは出来る。そこには克服することとは違う重要な要素がある。記憶である。それも敗者の記憶である。私達は記憶を通して過去を受け止めることが出来るのである。
 その記憶はエピソード記憶である。ある出来事に遭遇した事実とその時に感じた感情。そこには偽りはない。記録は改ざん出来るが、記憶は改ざん出来ないのである。
 私達が持っている記憶の一つ一つに意味がある。それを実感して初めて私達は過去を受け止めることが出来る。
 それは苦しいことかもしれない。それは悲しいことかもしれない。けれども、記憶を見つめ直すことで、私達は真実に近付くことが出来る。その苦悩を乗り越えて初めて、私達は過去を受け止めることが出来るのである。

         fin

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