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MUGA展の評論を写真史家・写真評論家の打林俊さんより頂きました。

MUGA 個展「Just a Thin Truth」の評論を頂きました。絵のようで絵ではない。写真であり写真とは違う。また、CGとも言い切れない。そんなMUGA作品を美術における写真史を通して読み解く、読み応えある内容です。


薄っぺらな真実のありか -観念とマテリアリズムのはざまで

打林 俊 (写真史家・写真評論家)

 Just a Thin Truth、すなわち“薄っぺらな真実”と題された本作を目にした時、“真実”と“真実らしさ”の境界とはなんなのか? という、いかにも今日らしい問題に、心をざわつかせられる。
 写真という一枚の画像が真実を写したものであるか否かということについては、写真発明初期から現在に至るまでつねにあらゆる側面から議論されてきた。もちろん、その最新の側面というのはフェイク画像でありAI生成画像をめぐる問題である。わたしの真意はひとまず脇に置いて、あえてこの議論の発端に立ち返ってみると、それは写実表現、つまり真実らしさと深く関わるものであるから、絵画の存在を抜きにして語ることはできない。そこに存在していないものは撮ることができないというのが写真の領分であり、反対に、そこにないものでも描いていい、存在していても描かなくてもいいというのが絵画の権利であるというのが、この問題のそもそもの端緒であったはずだ。
 こうした源泉を辿り直してみた時、わたしは19世紀フランスの詩人にして美術評論家のシャルル・ボードレールの美術評「1859年のサロン」を思い出さずにはいられない。ここで展開される写真と美術をめぐるボードレールの指摘は、MUGAの作品を理解するためにも決して無駄ではないので、しばしそのことに触れていくこととしよう。
 1859年といえば、写真術が世に公表されて20年という時代。サロン、すなわちフランス国家が主催する現代美術展では、1850-51年の開催時から写真の出品の可否が問われていた。ところが、それを可とするにはあらゆる条件が整っていなかったのである。果たして、写真に対して寛容な姿勢を示していた画家を含むフランス写真協会の特別委員会は、サロンに写真部門を設けるべく当局と折衝を重ねるが、それがいびつなかたちで叶うのは1859年まで待たなくてはならない。いびつな、というのは、フランス写真協会展(同協会は民間団体)の第3回展が59年のサロンと同じ建物、同じ会期で、だが入口は別で開催されたからである。当然、本来はこれをサロンの写真部門と呼ぶわけにはいかない。にもかかわらず、この措置は美術行政の最大の譲歩、実質的にサロンの写真部門だと公然と認識されたのである。
 当時はまだ美術館の企画展もアートフェアもない。つまり、サロンは当時の現代美術の一大イベントであり、各新聞・雑誌を賑わせるものだったわけである。そして、この公然の譲歩にいち早く反応したのがボードレールにほかならなかった。
 ボードレールはこの連載のサロン評の冒頭で、美術の仲間入りを目指そうとする写真を激しく糾弾する。その要点は、写真は記録手段であり、科学技術、絵画の下僕であるべしというものである。これだけ見ると単なる美術の仲間入りを目論む写真への警戒の表明とも取れるのだが、実は、そのあとに続く絵画作品評を読み進めていくと、ほかにも彼が激しい論調で批判していたものがある。それはなんらの「想像力」も持ち得ない写実絵画である。この「諸能力の女王」としての想像力というキーワードこそが、「1859年のサロン」全体を貫く評価原理なのであるが、なんのイマジネーションももたずにただ写実的に描かれた(とする)絵画が批判されているというのは注目に値しよう。
 想像するに、ここでボードレールが問いたかったのは、写真並みに精緻な写実描写で描かれていたとしても、それは真実にはなれないということだったのではないだろうか。だとすれば、想像力が欠如したとボードレールが断定する絵画は、どこまでいっても真実にはなれない薄っぺらなものということになろう。他方でこの論理を反対側から眺めてみると、写真は現実の光景を複製しているにすぎないということになるが、写実画と違って少なくとも真実ではあるという担保を導き出すことができる。つまり、写真的な絵画と、絵画と肩を並べたい写真は、ともに想像力を欠いた薄っぺらな真実の裏表として認識されているとも取れる。
 かなり長々とボードレールに触れてしまったが、写真史の初期にみられるこのような写真に対する認識は、MUGAの作品を理解するにあたっては重要な切り口になってくる。というのも、MUGAの写真に対する考え方は写真に“撮られる側”だった頃に形成されたと本人が断言しているからだ。それも、モデルではなく、プロスノーボーダーとして。いや、むしろモデルであったなら違和感はなかったかもしれない。なぜなら、モデルは初めから虚構の世界を作り上げることに自覚的に関わっているのだから。ところが、スポーツ・プレイヤーとしての彼は、自分の競技中の写真を見て違和感を抱く。自分がきれいに演出されているように写りすぎている、と。この、写真は真実を写していないではないかという違和感が、MUGAの“薄っぺらい真実”の原体験となる。


作品《Just a Thin Truth》No.30


 さて、東京で初の個展となるこの展示を見たときに、なるほど、花の写真かという第一印象を抱く。そしてギャラリストからこれは紙でできている花だというような説明を漫然と聞き、その不思議なフォルムや独特の質感に納得をする。ところがMUGA本人に詳しく聞いてみると、「いえ、紙で花は作っていません」という。いわく、スタジオ撮影などで背景紙に使う薄いグレーの紙を切ったものを撮影し、その画像を素材としてコンピューター上で画像を歪めていき、結果的にそれが花フォルムに見えているにすぎないのである。
 いまや、写真はボードレールの時代の領分を超えて、きわめて“絵画的な”権利を獲得している。ボードレールがあれほどまでに写真をこき下ろしたのは、写真が現実と等価な関係を結ぶことしかできず、そこに芸術が芸術たりえる想像力が介入する余地がないと判断してのことである。
 ところが目の前の写真を見てみよう。その花は物質として、あるいは生命として実在していたことさえないのである。いってみれば、紙片が写った画像データを歪曲させていく過程で、MUGAが美しさを感じた線やフォルムの集積なのだ。花の写真であると断定したわたしの認識こそ、薄っぺらなものであろう。おそらく、この手法を知らない人の多くは、わたしと同じように、レンズのボケをうまく用いた花の写真であると思うのではないだろうか。だが、すでにそこには真実というかつて唯一写真に担保されていた存在基盤はない。あるのは、グレーの紙が花然としたものになっていく想像力の軌跡だけである。では真実はどこにあるのか?


作品《Just a Thin Truth》No.30

 おそらく、写っているもの=真実という考えは、もはやこの作品には意味がない。そこでもう一つの補助線として考えてみたいのが、真実を写真の中ではなく外側に求めてみることである。というのも、MUGAは過去に骨董商などに携わり、実際の物に触れることで価値観を形成してきた人物でもあるからだ。その経験とあわせて考えれば、彼にとって、写真とは物質であることが重要なのではないかという考えも、まんざら的外れではないように思える。
 もしもMUGAが写真イメージを全面的に疑っているということがアーティストとしての立場の前提になるならば、こう言ってもいいかもしれない。最終的にこの作品群の真実を担保しているのは、その疑いを可視化するだけではなく、物質としていまわたしたちの目の前に提示するマテリアリスティックな、絶対的事実からスタートしている、と。
 作品を前にしたとき、わたしたちの認識は写真イメージというものは実在の現実と関係を結んでいるはずだ、実際に存在しているものを撮っているのだという前提によって立っている。なぜなら、それはあまりに古風な考えであってもまだ有効性があるものだし、真実というのは人の中ではなく、むしろ独立して存在するものだからだ。そのとき(作家がそのような挑発的提示を意図しているかどうかは別として)、目の前の写真は、という薄っぺらな現実に、わたしたちを誘導しているのかのように思える。
 このようにして、真実が写真の中ではなく外にあることが明らかになったとき、そこにあった認識論は実在論にすり替わる。それは、何が写っているかという認識論ではなく、ここに一枚の写真があるという実在論から作品を見直すことを迫られているかのようでもある。薄っぺらな真実にも支持体が必要だということだろう。錯覚のような薄っぺらな真実が、マテリアリズムが放つ重力でたしかな居場所を得ているともいえよう。そのような複雑な観念のせめぎ合いが、MUGAの想像力によって統合されていることを、わたしたちは作品を前にしてを知るのである。

打林 俊 (写真史家・写真評論家)うちばやし・しゅん 1984年生まれ。2010年〜11年パリ第I大学大学院招待研究生、2013年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。2016年度〜18年度日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は写真と美術を中心とした視覚文化史。主な著書に『写真の物語 イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、『絵画に焦がれた写真−日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)、『写真』(ふげん社)の創刊号からvol.4までディレクターを務める。