禅とお日様 冷暖自知

禅はお日様のようにそのときそのときで表情が違います。禅の教えもお日様もそこにあって、でも、そこにいる人にとっての響き方、感じ方はコロコロ変わります。私にとって禅は自分の状態に気づかせてくれるものです。禅語に触れ、その言葉からいろいろ考えることで自分がどう感じるか、心が晴れる日も心が曇る日もあります。

季節の変わり目は体調を崩しやすいと言います。体温の調節がうまくできなくて、体調に影響が出て、心にも影響が出るのかもしれません。暖かく感じたり、寒く感じたり、涼しく感じたり、暑く感じたり、同じ生活をしている家族であっても感じ方は人それぞれ、そして体調を崩す人も崩さない人もいるように感じます。体調を崩すと心細くなったり、不安になったりして、心も弱くなりがちです。

季節によって、体調によって、環境によって、感覚は変わります。今日は暖かいなと思って薄着で出かけた時に、ダウンのコートを着ている人を着ている人を見たり、今日は少しひんやりするなと思って薄手の上着を着てみたらTシャツ1枚で暑そうにしている人を見たりします。もちろんファッションのこだわりで、寒い日に薄着の人はいると思います。小さい頃は衣替えがあって、そのタイミングで服を変えればよかったのですが、大人になると自分で考えて調整をする必要があります。そんな時は自分の感覚に気づいて、自分の体調に合わせて洋服を選び、体調管理をすることも大切です。

冷暖自知(れいだんじち)

冷たいのも暖かいのも自分で直接感じることが大切ですという意味です。

例えば、オニオングラタンスープ。熱々を食べられる人もいれば、猫舌で熱々が食べられないから冷ましてから食べる人もいます。猫舌の人は熱々が美味しいのにと言われても美味しさよりも熱さが辛いから冷ましているのかもしれないし、自分が食べられる温かさが一番美味しいというかもしれません。熱々が好きな人は、熱々の感覚を楽しんでいるのかもしれないし、冷めたら美味しくないと思っているのかもしれません。

違う感覚を持っている人同士がお互いに勧め合うと、かえって嫌な思いをしてしまうこともあります。感じ方は人それぞれなのです。その人にとってのベストがその人にベストなのです。自分にとってのベストが自分のベストのように。

「もの」の暖かさに加えて、「こと」の暖かさも人それぞれとも解釈できます。

例えば、テレビのワイドショーにはコメンテーターがいます。さまざまなニュースにさまざまな人がコメントします。必ずしもそのテーマの専門の人がコメントするわけではありません。社会的なニュースに対してアスリートがコメントしたり、芸能界のゴシップに対して社会的な立場の方がコメントしたりします。そして、そのコメントが一般論のように取り上げられます。

私はこのことに違和感を感じていました。とあるコメンテーターのコメントが心に引っかかって落ち込んだことがありました。でも、見方を変えると、そのコメンテーターにとってはそのコメントがベストで、私にとってベストじゃなかっただけだったと気づきました。そう捉え直したことで、コメントに触れるたびに、その考え方を理解できないと捉えるのではなく、私にとってのベストじゃなくていいと思えるようになりました。これも自分の感覚を感じられたからこそ気づけたことだと思います。

そういう意味では、その人の意見を聞くというよりもその人の考え方を知るという姿勢になることで、さまざまな考え方に触れることができると気づきました。もちろん、いろんな人の考え方に触れることで、自分が影響を受けることもあります。ただ、世の中には自分と同じ考え方の人、違う考え方の人、いろんな人がいることに気づけることで、自分の考えを客観的に見るきっかけにもなります。

顔が好みだから、この演技が素敵だったからと惹かれる人に憧れたりします。でもその人の考えと自分の考えは必ずしも同じとは限りません。影響を受けることもいいと思います。逆に見た目は絶対受け付けないけど、その人の言うことにとても納得感のあることもあります。そういう時は自分に合う考えを自分に取り入れて、自分のものにしてしまえばいい、ただそれだけということにも気づきました。

政治や社会情勢についても同じです。右だ、左だという人もいますが、人それぞれなのです。いろんな考え方があること、自分なりの考え方があることに気付けていれば、振り回されることがなくなります。そんな考え方があるんだという気づきでしかありません。

結局は自分次第なのです。自分がどう感じたか、それだけです。その中で自分が決めていくことが大切です。そんな気づきをくれた禅語を紹介しました。

自分を大切に、自分らしさを大切に、毎日を過ごしてみませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?