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禅とお日様 般若心経という芸術

禅はお日様のようにそのときそのときで表情が違います。禅の教えもお日様もそこにあって、でも、そこにいる人にとっての響き方、感じ方はコロコロ変わります。私にとって禅は自分の状態に気づかせてくれるものです。禅語に触れ、その言葉からいろいろ考えることで自分がどう感じるか、心が晴れる日も心が曇る日もあります。

「般若心経は芸術!」

そう思ったとき、般若心経に対する興味が一気に高まりました。般若心経は260文字余りのお経です。難しい漢字が並んでいて、意味はさっぱりわからないし、説明しろと言われても説明はできません。ただ、いろんなところで目にしてきたことで、親しみを持つようになり、目にすることで自然と心が落ち着くようになりました。

初めて般若心経に触れたのは高校の書道の授業でした。漢字が難しくお手本をみながら書くだけなのに、一字一字が普段使う漢字と異なり画数が多くて難しいので苦戦しました。特に、縦に並ぶ文字のバランスが悪く、行ごとに長さが変わってしまい、不恰好で悲しくなりました。周りの生徒の作品を見ても人それぞれで、細い線で丁寧にバランスよく書いていたり、個性的な線で自由に書いていたり、同じものを書いているはずなのに違いました。ひとり一人の作品に味があって、芸術というものに触れた瞬間でした。私は不格好になっていたものの、書いている時間がとても穏やかで心地良い時間だったことを覚えています。集中して1文字1文字を認めることは、私自身が落ち着きを取り戻す貴重な時間を体験しました。

それから、写経という言葉を目にすると興味を持つようになりました。特に京都で寺院仏閣を観光するときに、写経体験のある寺院を探したり、ふと訪れた寺院で写経体験とあると時間が許す限り体験をしたりしてきました。

両親と出かけた鹿苑寺(金閣寺)での写経は3種類ある中で、私は般若心経を選んで写経をしました。両親は他の短い写経をして、散策に出かけていき、残った私は一人黙々と書いていました。外の観光客の喧騒は聞こえて来ず、ただただ書くことに集中する、この時間は長いようであっという間でした。このとき、初めて下書きをなぞる写経をしました。字のバランスを取ることへの心理的ハードルが下がり、集中して取り組めました。ただなぞるだけでも人によって個性が出ます。私のは丁寧になぞっていてなんとなく漢字も整っているもの、父のはなんとなくなぞっているのに何の漢字がわからないもの、そんな印象を受けました。人それぞれを再認識した瞬間でした。

小野小町のゆかりのお寺である隨心院では、写経をすることで集中の質が高まる体験をしました。隣で写仏をしている二人組がいて、彼女たちは会話をしていました。会話をしていたことには気づいたのですが、写経に集中し、写経を終えたときに、とてもすっきりしたことを覚えています。このときは、ただ写経をすることに目的に行き、お参りをして写経をして帰るだけだったからこそ、写経を終えたあとのすっきり感が体感として残っています。

成田山にお参りに行ったときにも写経をしました。奥の方に写経場があり、遠すぎて歩き疲れた私は少しだけ後悔をしました。ただ、このとき、初めて写経に作法があることを知りました。厳かな空間の中でほぼ貸し切りの状態で集中して写経ができ、また来て写経をしたいと思った場所の1つです。

他にもいろいろな寺院で写経の機会がありました。友人と行ったときは友人の書くスピードが速くて少し焦りましたが、深呼吸しながら丁寧に書くという時間、その時間を友人と過ごすということがとても嬉しかったことを覚えています。

写経は手が痛くなりながらも書いている間の集中している感覚と書き上げた瞬間の脱力感が好きです。集中と脱力とともに落ち着きがじわっと染み渡ります。

般若心経を読経する機会にも恵まれました。それまではただ漢字を書くだけの感覚でしたが、読経をするようになり、リズムや音階、音程、いろいろと気になるようになりました。

初めて読経したのは清澄白河の陽岳寺に禅メソッドアカデミーの研修で伺ったときでした。ただ漢字が並んでいるだけで、ふりがなもなく、全然読めませんでした。どちらかというと、読経の際の住職の祈祷のような舞が気になってしまって、見ることに気を取られていました。

その後、禅メソッドアカデミーでの学びの中で般若心経を読経する機会が増えました。読経はほぼ初めてだったので、アカデミーで流すYoutubeに合わせて読みながら、読み方を覚えていきました。同じYoutubeを聞きながら読経をしているはずなのに、毎回違う感覚があり、毎回毎回新たな気づきが生まれる時間となっています。まだ覚えきれてはいませんが、少しずつ読経に慣れてきました。いろいろなYoutubeや音源があるので、読経後の味わいを大切にできる、自分に見合う音源を探してみようと思います。

写経も読経も、どれも同じ般若心経であって、表現者によって表現が違い、それぞれに良さが感じられる、般若心経は芸術のような感覚を持ちました。この芸術は毎回違う感覚を届けてくれるのでこれからの人生でもっといろいろな般若心経に触れて、ありのままに、あるがままにを楽しみたいと思います。

今回は「般若心経」についてご紹介しました。禅メソッドアカデミーでは、禅についての探究、自分自身の探究を深めることができます。その中でもいろいろな学びがあります。是非一度「玄関」の講座をのぞいてみませんか。

セミナーリンク | ZEN METHOD ACADEMY
zen-method.com

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