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禅とお日様 禅リトリート

禅とお日様

禅はお日様のようにそのときそのときで表情が違います。禅の教えもお日様もそこにあって、でもそこにいる人にとっての響き方、感じ方はコロコロ変わります。私にとって禅は自分の状態に気づかせてくれるものです。禅語に触れ、その言葉からいろいろ考えることで自分がどう感じるか、心が晴れる日も心が曇る日もあります。今日はその禅の勉強の中で体験した「リトリート」について書きます。

禅メソッドアカデミーでは節目節目で「禅リトリート」があります。今回は「きみつのさんぽ道」というところに集まって、リトリートをしました。前日からソワソワしていた私、まるで遠足前日の子どものようにワクワクしていました。

「きみつのさんぽ道」は首都圏での植木の生産拠点として始まった場所とのことです。最近では、屋上緑化等の取り組みに使われたりもしているそうです。木は苗木から育てる方が丈夫とのことで、さまざまな樹木が育てられています。現在は「オープンガーデン」として解放されており、愛地球博で展示されていたエリアがあったり、こだわりの植物を見ることができたり、いろいろな樹木を見ることができます。

この日は、梅雨だったのに、天気予報はずっと雨だったのに、見事に晴れました。そんな中、禅リトリートがスタートしました。

遠離

仏教の教え「八大人覚(8つの大人の自覚・悟り)」の3番目にある「遠離」。ちょっと離れて自然の中に身を置くことです。現実から離れることで、気付きが得られたり、自分と向き合ったり、とらえ方は人それぞれです。

ということで、早速「きみつのさんぽ道」を散策しました。養蜂家テルさんのご案内で、散策をしていく中で、アリの巣やモグラの穴が気になる人、幹に抱きつく人、地面に寝そべる人、自由に過ごしました。私はいろいろな葉っぱの形が気になり、葉っぱの表情からいろいろな想像を膨らませて楽しみました。自然に囲まれた空間にいるだけで癒やされました。デジタルデトックスにもなるとのアドバイスがあり、スマホやデジタルデバイスを外して過ごすことで、ただ自然のまま過ごすことを体験しました。

行住坐臥

禅の修行にはいろいろあります。裸足になって芝生の上を、大地を感じながら歩行禅は、足の裏がくすぐったいそうです。慣れると大地を踏みしめている感覚が心地よくなるそうです。日差しがダメな私は、皆さんが歩行禅をしている間、日陰で坐禅をしました。大地の上での坐禅は、自然との一体感を感じられ、安心感に包まれました。

森の中では、自由時間もありました。私は大きな木の麓で大の字になって空を見ていました。久々に地面に寝そべり、いつもなら苦手な虫も気にせずに、ただただ背中で地面を感じていました。アースみたいな感じで、身体中のモヤモヤが地面に吸い取られてスッキリしました。

自然の中で過ごす時間は、木々が風で揺れる音、鳥の囀り、ハチの羽音、いろんな音のする中、森の風を感じ、大地の匂いを満喫しました。五感を研ぎ澄ます時間になりました。

百不知、百不会

午後は学びの時間。禅語カードを使って、たくさん気づき合う時間になりました。知っている禅語、知らない禅語、惹かれる写真、惹かれる言葉、カードのワークショップではたくさんの気づきがあります。

今回は自分のビリーフ、思い込みや固定観念、を知るワークをしました。私は「百不知、百不会」という禅語から様々な気づきを得ました。

何も知らず、何も会得していない者こそ実は素晴らしい、という意味です。知らないからこそできること、そこに価値があるとも解釈できます。

仕事でも、勉強でも、プライドや遠慮があって人に聞けない、聞きたくないときがあります。そもそも聞かないとわからないことは世の中に溢れていると私は思います。何も知らないから、何も会得していないから何でもできると思うのです。

以前、部署異動を経験したときに、手続きがわからず、近くの席の方に質問したのですが、受け取った答えがわからず、再度質問したら「こんなこともわからないの!?」という対応をされてしまいました。そのときの相手の態度が嫌で、その後、その人に質問することができなくなりました。もちろん、その人がそのタイミングで忙しくて対応が冷たく感じたのかもしれません。

もし私が丁寧に質問をしていたら、この部分がわからないと明確にわからない部分を提示して質問をしていたら、その人の対応は変わっていたのかもしれません。これは知らないからこそできることなのかもしれないと感じました。

新天地は人生の中でいつでも現れるものです。だからこそ、この「百不知、百不会」という禅語を思い出して、知らないからこそできることということを大切にしたいと思いました。

禅リトリート

自然散策、禅語ワーク、起きていること、感じること、すべてからいろいろな気づきを得ることができる貴重な機会となりました。遠足への期待が期待以上にワクワクした感覚です。気分転換という言葉では表現しきれないぐらいに自分自身と向き合い、自分自身をリセットすることができるいい機会となりました。定期的に「自分の棚卸」として、放電の時間として、実施していきます。


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