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禅とお日様 明珠在掌

禅はお日様のようにそのときそのときで表情が違います。禅の教えもお日様もそこにあって、でも、そこにいる人にとっての響き方、感じ方はコロコロ変わります。私にとって禅は自分の状態に気づかせてくれるものです。禅語に触れ、その言葉からいろいろ考えることで自分がどう感じるか、心が晴れる日も心が曇る日もあります。

あなたは輝いていますか。

この問いと向き合ったとき、「輝くってなんだろう?」「どういう意味なんだろう?」と頭の中にたくさんの?が沸きました。笑顔が溢れていることなのかもしれないし、幸せに満ち溢れている様子なのかもしれないし、ワクワク感に満ちたかんじなのかもしれません。

笑顔になること、幸せに感じることやワクワクすることは人それぞれ違うものです。同じ感覚を持っている人はほとんどいません。人それぞれ違うからこそ、この問いは他人からの視点というよりは、自分からの視点を知るために使っていきたいと思うようになりました。

明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)

大切なものはすでに手の中にありますよ、と気付かせてくれる禅語です。

初めてこの禅語に出会ったとき、明珠の示す「明るい宝石」を上手く自分なりの解釈に落とし込むことができませんでした。学力や能力のような頭の良さ、取り柄や得意なことが明珠かもしれないと思えたときに、それを大切なものと思えなかったからです。比較の下で明珠があると思えてしまったことで、人より勝っていることや目立つことを明珠というと理解してしまったのです。リレーの選手になれるぐらい足が速いとか、算数なら毎回100点とか。その心の裏には、早く走れていいな、算数できてすごいなという羨ましさと、人より目出ていることがあれば目立てる、という理解がありました。

人より優れていることが必要と理解してしまったことで、比較対象を設定してしまったことで、自分自身が理想からかけ離れる感覚があり、自分で自分を苦しめていました。比較対象に対する羨ましさがあったからなのかもしれません。どんな時でも他人を羨むことはたくさんあります。隣の人が食べているものの方がおいしく見えたり、隣の人の持っている文房具がとても気になったり。欲のままになんでも欲しがってしまいます。

この「明珠在掌」について、よくよく説明を聞くと、隣の芝生を見て羨ましがるのではなく、あなたの芝生にも良さがありますよという意味だと解釈しました。

以前、私は隣のチームの仕事の方がワクワクして楽しそうと思ったことがありました。仕事の内容も、メンバーも隣のチームの方が優れていると思えたり、楽しそうと思えたり、正直、隣のチームがとても羨ましかったです。でも、もし自分がそのチーム側だったら同じことを私のいたチームに感じていたのかもしれません。

そんなとき、自分の持っているものが何か気づくチャンスです。自分の持っている「もの」や「こと」に目を向けると、隣との比較をしてしまうからこそ、より自分にしかない、自分だから持っている、自分らしさがあることに気付けます。自分が大切にしていることに気付けるチャンスなのです。

自分が自分のチームで仕事ができているか、メンバーとうまくできているのか、もし隣のチームでに入れたとして仕事ができているか、そこのメンバーと上手くできているのか、そういう点に目を向けることで自分だからできる「こと」や「もの」に気付けるのかもしれません。

あなたは輝いていますか。

冒頭の問いかけに戻ります。輝くというのも、その輝き方も人それぞれです。だからこそ、自分が自分の輝きを見つけ、大切にするということが「自分らしさ」を知るチャンスです。人との比較ではなく、自分が大切にする自分、そこに真の輝きがあります。

輝いているか、何が輝いているのか、決めるのは自分です。自分で決めているからこそ、自分の言葉で自分らしさを伝えられる、そんな気付きをこの禅語を通して学びました。

今回は「明珠在掌」についてご紹介しました。禅メソッドアカデミーでは、禅についての探究、自分自身の探究を深めることができます。その中でもいろいろな学びがあります。是非一度「玄関」の講座をのぞいてみませんか。

セミナーリンク | ZEN METHOD ACADEMY
zen-method.com

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