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統合失調症の私が当時酷かった症状
10年以上前の私
統合失調症を発症したのは私が高校生になるあたりの出来事だった。
正確な発症の時期はなく、もしかしたら高校生になる前には統合失調症だったのかもしれない。
主治医には高校入学してしばらくしてから「あなたは統合失調症です」と伝えられた。しばらくしてから伝えた理由は私が混乱するのを避ける為だった。
統合失調症という疾患を伝えられるまでは私になにが起こっているのかわからなくて苦しかったしパニックだった。もちろん、統合失調症に自分がなったんだとわかっても受け止められず辛かった。
しかし、10年以上の時を得て私は統合失調症を受け止め、真正面から向き合い共に生きられるようになった。
私は今、楽しく暮らし、働き、笑顔が溢れている。
統合失調症は背伸びして無理する自分や本当の自分と向き合う大切さを教えてくれた。私は昔、無理をしていた。自分の気持ちを無視してしまっていたから統合失調症になったのが大きい。もちろん発症原因はたくさんあるが、自分の心と向き合うことをせず人生を進んでしまっていた。
だから、統合失調症は私自身だったのだ。本当の私が本当の自分を教えてくれたのだと思う。妄想や幻聴が聞こえるくらい私は限界を迎えていたのだと、統合失調症が教えてくれたから私はちゃんと休むことが出来た。
不登校の時間も引きこもりの時間も、社会に出られない時間も何年もあったけれど、私は統合失調症という自分を受け止めたことで、どうして自分がこうなったのか、自分はどうするべきなのか、これからの生き方を考えられた。
生活習慣も、一日の過ごし方も、人とのふれあい方も、楽しい事の時間の見つけ方も、栄養の取り方も、運動の仕方も全て全て自分で勇気を持って考えた。
だから、今の私にはもう症状と言えるほどのものは訪れていない。
しかし、昔の私にどんな症状があったのか語ってみようと思う。
被害妄想・幻聴
私が高校入学あたりの時期に徐々にひどくなってしまったのが、幻聴が少し混じった被害妄想だ。被害妄想がほとんどだが、幻聴も含まれていた。度合いは人それぞれ違うが私の場合、被害妄想が加速し幻聴のように現れることが酷い時にはあった。
私は小学・中学生の頃は人間関係を構築するのが下手でいじめられていた。いじめられていたというよりは最初は自分が人の気持ちを考えるのが下手なせいで、気が付かないうちに同級生に嫌なことを言ってしまったりしてしまうこともあった。
そのせいで、仕返しされることも相手にされないことも増えた。
それがエスカレートして私はひねくれさらに罪のない人に嫌なことを言うようになってしまったと思う。
人に嫌なことを言われ仲良くしたいなんて思う人はいないし、むしろ避けたいと感じるのは当たり前だ。嫌なことをする人と仲良くしようなんて中々思えない。
正直、自分のせいなのだ。
それがどの程度許されるものかはわからない。大人になって同級生にあうと、「あなたは真面目だったよ、そんなことはない」と言ってくれる人ばかりだった。だから自分がそう感じてしまっているだけでそこまで酷いことをしていた訳ではないかもしれないが、嫌なことを言ってしまったり態度を出してしまったのは事実だ。
もしかしたら、周りの同級生は冗談交じりに嫌がらせを返してきたのかもしれない。私がしてきたことと同じように。周りの友達がその時ひとりもいなくて孤独だったわけでもないし、嫌なことをされながらも楽しく付き合っていた友もいたからだ。
いじめの境界線は良く分からない。私が嫌だと感じていたなら、辛いと感じていたならいじめはあった。ただ、私の場合は周りの気持ちを理解せず自由に好き勝手学生生活を過ごしてしまったのは良くなかった。
高校に入学し、思春期を感じるにつれて「私って酷いことをしてきたから相手にされないのかな?」と強く周りを気にするようになった。「あ、私って最低だ、どう思われてるんだろう」些細なことでも過去を思い出し怖くなった。自分で周りにしてきたことの反動が一気にやってきた。そして、自分のことや周りのことが今までよりも見えてくるようになった。
気が付けば「クラスのみんなが私を敵視している」「あいつは常に私をいじめようとしている、私のせいだ」と親や先生に訴えるようになってしまった。周りを気にして考えすぎた結果、ありもしない妄想が止まらなくなってしまったのだ。
それが事実だとか現実だとか妄想なのだとかいう境目を自分でも判断できなくなり、クラスの誰かのため息でさえ「おまえは消えろ」と聞こえ学校に行かなくなった。
高校入学してからは中学時代の同級生なんてほとんどいなかったはずなのに、みんなが私のダメな歴史を知っていて反撃しに来ていると妄想を膨らませ止まることは無かった。
過去の事は混乱も多く辛かったせいでハッキリとは覚えていないことも多い。だから、いじめと被害妄想、自分のしてきたことと周りにされたことの境界線もよくわからない。しかし、自分が変わり者で周りと馴染めず苦しんだのは事実だ。小さくても大きくてもいじめはいじめ、私だって小さくても大きくても酷い事はしてしまった。だから、統合失調症から回復した時には人の気持ちを理解しようと一生懸命生きられるようになった。
他人の気持ちを大切にするということはどういうことか考えているうちに、素敵な仲間が増え人生が豊かになった。
それは、統合失調症になる前の自分にはない気持ちだった。
統合失調症はやっと大切なことに気が付かせてくれたのだ。
食の拒絶
私は不登校になった後、極度のストレスでご飯が食べられなくなった。
食べても吐いてしまうしやせ細ってしまった。
その結果悪いループに陥り、ますます正常な思考力を失った。食べなければ、エネルギーが付かず正常に脳で考える力が無くなってしまう。
でも、精神的なストレスが強すぎて食を拒否することは長く続いた。
しかし、何年もかけて私はごはんを沢山食べられるようになった。
実は統合失調症になる前から、私は栄養不足(栄養失調)だった。私は学校でよく「ガリガリの骨」とむき出しになった骨が見える細すぎる体を友達にバカにされていたのを覚えている。私はそういう体質だと思い込んでいた。母がうつ病で料理をちゃんと作れなかったのはあるが、それにやっと気が付き改善してから病状は大きく回復した。
もしかしたら、元々栄養が足りなくて思考力が劣っていたのもあるかもしれない。
今では1食に2人前くらいぺろりと食べる。
食べるとちゃんとエネルギーが周り心は安定するからだ。ハーフマラソンに取り組んだり運動もしっかりするようにもなった。
統合失調症はちゃんと食べて活動をすることを教えてくれたのだ。
目が開かない
不登校になってしばらくして瞼が開かなくなった。
統合失調症になってからあまりにも常に周りを怖がり、気にしすぎ、被害妄想を考えすぎているせいで、神経にも負担がかかっていたのだろう。
食べ物も食べずにエネルギーもなく神経が弱くなっていたのだろう。
眼科に行っても目には異常はなく、謎だらけだった。
2年以上くらい(辛すぎて正確に期間は覚えていない)自分の手で瞼をこじ開けて何かを見るようにした。
しかし、沢山食べられるようになり病状が回復していくと、目は開くようになり外の世界が見えるようになった。
もしかしたら、周りが怖く人の目を気にしすぎて統合失調症という自分が外を気にしないよう目をふさいでいてくれたのもあるのかもしれない。
まとめ
今回は昔起こった症状をとりあえず紹介したけれど他にもたくさんあった。
でも、今はそれを乗り越え回復した。ちゃんと本を読んで勉強して対策や回復方法を考えたからだ。
そして、私は私の歴史を今小説で書いている。
書き終えた時にコンテストに応募するかWEBで公開するかはまだ決めていないが、いつか「自分が統合失調症と生きた歴史」「私が統合失調症に感謝している理由」をちゃんと文章にしていきたいと思う。
もし、それを誰かに見せられる時が来たら、noteで報告します。
↓★過去の経験談はブログでも公開中です★↓
↓★回復方法のヒントも掲載中★↓
2021.11.30追記
この数日でWEB小説に自分について書き上げてみました!
良ければ見て下さい!
熱中しすぎて1日で1万文字以上書いた……(笑)
カクヨムの方でもたくさんエッセイ書いているのでよろしくお願いします!
▽大切に生きるをテーマに執筆中▽
よければ他の記事もこちらからどうぞ!!
白咲なりの「大切に生きる」を知って、きっとあなたの人生の考え方が変わるはずです。是非覗いてみて下さい!!
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