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娘を無事に出産しました

2024年5月14日
顕微授精を経て授かった待望の第1子を出産しました。
約3700gの、大きな元気な女の子でした。
今は毎日寝不足で、様々な不安を抱えながらも、楽しみながらお世話しています。
 
臨月~退院後の出来事を、家事育児の合間をぬって、
まだ記憶が鮮明なうちに簡単に記録したいと思います。


出産に怯えていた臨月


臨月に突入すると、私のお腹は一段と大きくなり、体重も一気に増加しました。胎動は激しいままでした。
子宮口は1cmのままでなかなか開かず、前駆陣痛もおしるしもありませんでした。いつ襲ってくるか分からない陣痛に怯えていました。
5月14日に計画無痛分娩予定(前日より入院)だったので、それまでに陣痛が来たら自然分娩になってしまいます。早く娘に会いたいという思いと、無痛分娩ができる日までお腹の中にいてほしいという思いが交錯していました。
 
いずれにしても、スムーズに産めるよう臨月に入ったら子宮口を柔らかくするために、毎日ウォーキングやスクワット、ヨガをしていました。夫はお酒を断ち、100%テレワークにし、いつでも私を病院へ連れていけるようにしてくれました。

飼い猫に悪性腫瘍の疑い


出産の兆候が全くないまま迎えた入院前日、突然動物病院から電話がかかってきました。
4月に飼い猫のミアが高カルシウム血症と診断され、特発性高カルシウム血症か、原発性上皮小体機能亢進症が原因と考えられると伝えられましたが
原発性上皮小体機能亢進症かどうかを調べる血液検査で、腫瘍性疾患が疑われたのです。

悪性腫瘍の可能性は低いと言われていただけに、思いがけない知らせに驚き、放心状態になりました。
明後日出産予定の娘と、ミアが姉妹として、一緒に成長する様子を見ることを楽しみにしていたのに…
ランニングから帰ってきた夫を前に、大泣きしてしまいました。まだ悪性腫瘍と確定した訳ではないのに、悪い想像ばかりしてしまいました。仕事や家事に追われて、ミアと過ごす時間を十分に作ってやれなかったことを後悔しました。
でも「とにかく今は出産に集中するしかない」と思い、ミアのことは夫と母に任せることにしました。
 
産後に京都の動物病院で受けたCT検査の結果、腫瘍は見当たらず、
「高カルシウム血症の原因となりうる明らかな異常を認めず」(=原因不明の特発性高カルシウム血症)と診断されました。そもそも、血液検査の結果を見る限り、カルシウムの異常がある訳ではないとのこと。「今回見つかっていない微細な病変が増大し明瞭となっている可能性もあるため、(将来)再CT検査の実施をご検討ください」と言われました。ひとまず安心しました。
 
今の家に引っ越してから、初めて妊娠した子を流産したり、ミアの病気が見つかったり、義姉が癌になったりと良くないことが続いたので、ネットで調べたら裏鬼門にトイレがあるのが風水的に良くないことを知りました。建売なので仕方なかったのですが、産後に・魔除けの柊を玄関先に置く ・トイレにグリーン系のスリッパ等を置く ・リビングやキッチン、玄関に観葉植物を置く ・鬼門を清潔にして、ごみを置かないようにする といった対策をしました。

いざ入院


入院当日。
前日に福岡から来てくれた母が涙ぐみながら見送ってくれました。
少し早めに家を出て、産院の近くのイオンモールで、最後に夫と2人きりの時間を過ごしました。
産院の食事はヘルシーなので、ジャンクフード(KFC、丸亀製麺)を食べ納めました。
 
ちなみに、産院には以下のものを持っていきました。

パジャマ(前開き)、産褥ショーツ、授乳用ブラ、母乳パッド、乳頭ケアアイテム、靴下(厚め)
夜用ナプキン ★産褥パッドは病院が用意
赤ちゃんのセレモニードレス、母のお洋服(退院時)
母子手帳、財布、衛生用品
パソコン、携帯
ペットボトル用ストローキャップ、カイロ、マスク、延長コード、写真撮影グッズ、院内用バッグ

意外と役に立ったのは、ペットボトル用ストローキャップと延長コードとカイロ。
出産後、子宮や腰の痛みでベッドから動けなかった時に水を飲んだり、枕元で携帯を充電・使用したり、子宮や腰を温めて痛みを緩和したりするのに役立ちました。
 
産院に着いたら受付を済ませ、個室が満員だったので準個室に案内されました。夫とはここで別れました。
 
先述の通り、私は計画無痛分娩予定でした。大まかな流れですが、まず前日に子宮頚管を開くためのミニメトロ(水風船)を挿入されます。
当日は朝6時半から陣痛促進剤の点滴を開始し、鎮痛が必要になった時点(子宮口3-5cm開大時点)で硬膜外麻酔を注入されます。陣痛の痛みは和らぎますが、全く痛みがない訳ではなく、赤ちゃんを押し出すのに必要な痛みは残されます。子宮口が全開になったら、普通の分娩と同様に「いきみ」を行い、出産します。本来の痛みを10としたら、3ぐらいの痛みになります。
 
※無痛分娩は病院によってだいぶやり方が違い、ずさんな病院もあるそうなので十分に下調べされることをお勧めします。
 
夫と別れた後、入院着に着替え、外来でミニメトロを挿入されました。これがとっても痛かった。挿入時の痛みと、重すぎる生理痛のような痛み。代診医に何度も失敗されて、思わず舌打ちしてしまいました…
部屋に戻ると段々とお腹が張ってきて、おしるしが出て、5分間隔で軽い陣痛が始まりました。軽い陣痛といっても、自然分娩時のマックスの陣痛に比べれば軽いという意味で、酷い生理痛よりも痛かったです。部屋で1人、痛みに耐えるのは孤独でした。そんな中夕食が運ばれてきたのですが、あまり堪能できませんでした。
痛み止めを飲んでしばらくしたら楽になり、朝までぐっすり寝られました。

計画無痛分娩→帝王切開で出産


迎えた当日。「この日がお腹の中の赤ちゃんの誕生日になるんだな」とワクワクしました。
この日はよく晴れていて、気温も湿度もパーフェクト。産院から見える湖がきらきら輝いていました。
 
ミニメトロを挿入されたまま、早朝から陣痛促進剤の点滴を開始しました。
夫はいつでも駆け付けられるよう、朝8時から病院の外で待機してくれていました。興奮してあまり寝られなかったようです。
 
この促進剤が、お昼になってもなかなか効きませんでした。
朝10時頃に子宮口が2cmぐらい開いていたので、院長がミニメトロを外したのですが(外す際と、内診がまた痛すぎた)それから生理痛のような痛みがぱったりとなくなってしまいました。
暇つぶしに用意していた雑誌も読み終わってしまいました。
 
陣痛促進剤が効かない人が10人に1人ぐらいいると説明を受けていたのですが、自分がまさに少数派になってしまいました。
そして、ついに看護師さんに「お昼になっても促進剤が効かなければ、夕方までだらだらと続けても有効な陣痛は多分来ない。家に帰った方が良いかも」と言われてしまいました。
 
産院は人手不足なので、いつでも無痛分娩できる体制は整っていません。自宅に戻り陣痛が来てしまったら、無痛分娩できる時間帯でなければ自然に産むことになります。折角入院の準備を整えて、産む気でいたのに、自宅に戻るなんて考えられませんでした。
 
そんな中、入院前最後の検診で、赤ちゃんの頭が96mmと大きめで「下から産むのが難しかったら、帝王切開に切り替えるので安心してくださいね~」と代診医に言われたのを思い出しました。最後の最後に帝王切開になるのなら、最初から帝王切開でよくない?と思っていました。
 
そしたら何と看護師さんの方から帝王切開での出産を勧められました。院長にお願いしたらあっさり許可w 
 
帝王切開の場合、辛い陣痛を経験しなくて済むし、1時間も経たないうちに赤ちゃんに会えるので、内心ラッキーと思いました。下から苦労して産もうとして、最後の最後で帝王切開になるよりも、最初から赤ちゃんが元気なうちにやった方がリスクも少ないと思いました。ただ、「今から20分間で決めてくれ」と言われると、本当に帝王切開で良いのか悩みました。帝王切開にも一定のリスクがあるからです。
 
母は下から産む派でしたが、状況を伝えると「あなたと赤ちゃんが無事なら何でも良い。●●(夫)とよく話しあって決めなさい」と言ってくれました。
 
結局院長と話して、同意書にサインしました。バタバタと剃毛された後、手術室に移動し、背中から麻酔を挿入されました。思ったよりも痛くなかったです。
まず、麻酔の効き具合を確認された後、目の前に青いシートをかけられて目隠しされました。夫が入室し、手をぎゅっと握ってくれました。夫は既に泣いていました。私はとても冷静でした。
 
不妊治療でお世話になり、赤ちゃんを授けてくださった院長と、大好きな代診の女医さんが手術を担当することになり、何だかとても安心しました。
 
いよいよ切開開始。院長が「今更だけど、痛くないですか?」と聞きました。「麻酔効いてなかったら今頃地獄だよね」と。
院長と代診の女医さんは楽しそうに世間話をしながら、私のお腹を切っていました。お医者さんってやっぱり凄いなと思いました。
 
そしていよいよその時が―。
「はい、これから産まれますよ~」
 
ここからは興奮と感動で、あまり記憶がありません。
 
次の瞬間、元気な産声をあげた赤ちゃんが出てきて、看護師さんが即座に赤ちゃんを抱えてどこかへ向かう様子が目に入りました。院長が「おめでとう、元気な女の子ですよ」と私の顔を覗き込んで伝えてくれました。夫は何かを叫んで興奮し、号泣していました。
産まれたのがあまりにも突然すぎたので、頭が追いつかず、私はまだ冷静でした。
 
産まれたばかりの赤ちゃんを顔の隣に置かれた時に
涙腺が爆発し、言葉では言い表せない感情に襲われました。
不妊治療を経て、やっと授かった我が子。
こんな小さい子が、10カ月も私のお腹にいて、私に幸せと喜びを与えてくれていたんだ…
よくここまで頑張ったね、無事に生まれてきてくれてありがとう
 
泣きながら感謝の気持ちを伝えました。
看護師さんが産まれたばかりの赤ちゃんと、夫と3人の写真を撮ってくれました。
その後すぐに私は全身麻酔で眠らされ、夫は手術室を出て産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしに行きました。
 
目が覚めて、意識が朦朧とする中、夫に「●●(私の名前)、大丈夫?」と声を掛けられました。
そして院長が来て「出産が1つのゴールだったので本当に良かったね」「帝王切開にして大正解」などと夫に話していたのが聞こえました。
 
後に知ったのですが、何と私の胎盤は癒着していました。もし下から産んでいたら、大量出血を起こし私だけ救急搬送され、最悪の場合●んでいたかもしれないそうです。
そして、赤ちゃんの頭の直径が11cmぐらいあったので、下から産むのはどのみち難しかったそうです。
 
陣痛促進剤が効かなかったのは、赤ちゃんが帝王切開に変更させるために
必死に踏ん張ってとどまってくれていたからではないか…と思いました。
妊娠初期からつわりが殆どなく、胎動も元気で親孝行な子でした。
 
妊娠が分かった時から、流産で亡くした子のお札に毎日手を合わせてお腹の中の赤ちゃんの無事を願っていたので
亡くなった子が守ってくれたのかもしれません。
 
結果的に、私は帝王切開によって救われました。産院の皆さんにも感謝の気持ちでいっぱいでした。本当にありがとうございました。
 
その日はベッドの上から動けず、麻酔の影響でうとうとしながら家族や友人、職場などに出産報告をしました。みんなとても喜んでくれました。

辛かった入院生活


翌朝(産後1日目)
背中から痛み止めを流され、導尿されたままベッドの上で寝たきりの状態でした。食事は全粥でした。
看護師さんが赤ちゃんを私の顔の横に置いてくれました。
可愛くて、愛しくてたまりませんでした。手も足も何もかもとにかく小さい、そして、可愛い!美人!
早くも親バカ炸裂です。新生児らしからぬ風貌でした。
 
午後、車いすで個室に移動しました。左足は全く動かず、車いすに乗る時に崩れ落ちました。
個室でもベッドの上から動けず、シャワーも浴びることができませんでした。背中から痛み止めを流していたので、痛みはさほどありませんでした。
 
母と夫が来てくれて、母は初めて我が子と対面を果たしました。
帝王切開中、母は急遽タクシーで神社に行き、お祈りしてくれていたみたいです。
母を「おばあちゃん」と呼ぶのは不思議な感じがしました。母は娘を抱いて、とても幸せそうでした。
 
産後2日目。汗をびっしょりかいていたのでどうしてもシャワーを浴びたくなり、早々に痛み止めの管と尿の管を抜いてもらうことにしました。何とか歩けるようになったので、シャワーを浴びました。
痛み止めを抜いて数時間後、覚悟はしてましたが子宮が激しく痛み出しました。痛み止めのカロナールを内服しましたが少々マシになる程度。
 
産後2~4日は、切開による痛みに加え、後陣痛(子宮が元に戻ろうとする痛み)と子宮収縮剤のトリプルパンチで、常に痛かったです。特に辛かったのが夜中で、仰向けに寝るのも、ベッドから起き上がるのも激痛でした。(ベッドから起き上がるのに毎回20-30分かかりました)痛さで叫び、汗をかいていました。普通に立って動き回っている方がまだ楽でした。
排尿時も痛くて毎回叫んでいました。排尿すると、子宮がグワッとつかまれるような痛みに襲われました。しかも毎回大量に尿が出て辛かったです。あまりにも辛かったので、子宮収縮剤は一旦止めてもらいました。エコーの結果、子宮収縮は良好だったので、切開の痛みが治まってから再開することにしました。
 
(それでも、絶叫する程ではないので、自然分娩の陣痛に比べればきっと楽なんですよね…)
 
まるで隔離部屋のような環境で、1人ぼっちで痛みに耐えながら、慣れない赤ちゃんのお世話をするのはなかなか大変でした(家族の面会は最大1時間/日しか認められていませんでした)。突然男性の先生達や看護師さんが入ってくるので気も休まりませんでした。授乳のことで冷たい看護師にきついことを言われたり、夜中赤ちゃんが泣き止んでくれなかったりして、段々と鬱っぽくなってきました。食事やシャワーの間だけ看護師さんに赤ちゃんを預けられるのですが、自分の時間が出来て解放された気分になり、ほっとする自分も嫌になりました。
 
退院後、赤ちゃんが泣き止まない時、看護師さんや助産師さんを呼べなくなるので本当にやっていけるのか不安になり、2回程看護師さんの前で大泣きしたこともありました。ただ、このような孤独な環境だったので、最後の方は早く夫と母の待つ家に帰りたいという気持ちの方が強くなりました。
 
入院中の唯一の楽しみは、すやすや寝ている産まれたての赤ちゃんを間近で眺められること。言葉では言い表せないぐらい可愛くて、生後1日目にして夫婦で同じような写真を200枚ぐらい撮ってました。
 
そして、帝国ホテル出身のシェフが作るお食事。毎食美味しかったです。鯛の漬け丼やミディアムレアステーキ etc.、妊娠中我慢していたものが出た時は嬉しかったです。
退院前日のお祝い膳も絶品でした。腰痛に苦しみながらも、夫と一緒に美味しくいただきました。

授乳や沐浴の仕方を叩き込まれ、迎えた退院の日。
荷物をまとめ、赤ちゃんにセレモニードレスを着せました。産院の皆さんに御礼をし、会計を済ませ、初めてチャイルドシートに乗せました。自宅に着いたら母が出迎えてくれて、しばらくはお世話でバタバタしました。その日の夕方は10カ月ぶりにお寿司を食べて、リモートで家族とつないで赤ちゃんの誕生を祝うお七夜・命名式を行いました。命名紙には夫が名前を書いてくれていました。
 
赤ちゃんも、そして私も、無事に自宅に戻ってこられて本当に良かった~!!

赤ちゃんのお世話ってこんなに大変だったんだ


これが今の心境です。
あっという間に新生児最後の週になりました。今は毎日、寝不足と闘いながら、慣れない育児に奮闘中です。
こんなにも自分の時間が取れないとは思いませんでした。スマホをゆっくり触る時間がない日もあります。
たまに何をやっても泣き止まず、気が狂ったようにぎゃん泣きすることもあり、娘が心配すぎて自分まで気が狂いそうになったことも(結局何事もなく、元気にしています)。
消耗品(おむつ、おしりふき、粉ミルク、ベビーソープ、ベビー用洗濯洗剤 etc.)は凄い勢いでなくなり、出費も増えています。
 
娘が生まれた感動は忘れられないし、とても可愛い。
でも、寝不足で体が追いつかず、母や夫に寝かしつけをお願いして先に横になることもあるし、
娘に対して「お願いだから早く寝て」と思ってしまうこともあり、そんな自分が嫌で、母親失格だと落ち込むことも多々あります。
 
2週間検診で、体重があまり増えていないと指摘され、1週間後にまた産院に来るよう言われてしまいました。
その1週間後の検診では、順調に体重が増えていて安堵しました。小児科の先生に色々相談したのですが、
・ミルクの吐き戻しは大量であっても、噴水のように吐かない&体重も増えているのであれば問題ない
・激しすぎるぎゃん泣きも普通(「どうして私が泣いている理由を分かってくれないの~」と訴えている時の泣き方らしい)
・ミルクを欲して泣くのに飲んだら苦しそうにして泣く→生後1カ月半ぐらいで赤ちゃんも学習するので、段々とそういうことはなくなってくる
・お口をぽかんと開けて寝るのは問題ない
・便が1日1回しか出ないのも問題ない(お腹が張って苦しそうであれば、綿棒浣腸をしてあげると良い)
 
とのことでした。助産師さんのYouTubeも参考にしています。
 
最近では段々と対処法が分かってきました。
大変な中でも、娘の可愛い寝顔を見ると「また頑張ろう」と思えるから不思議なものです。
 
私の場合、夫と母がサポートしてくれているので何とかやれています。夫と母がいなければ、私はノイローゼになり倒れていたかもしれません。1人で新生児のお世話は絶っっっ対に無理です。(全力でサポートしてくれている夫や母につい、きつくあたってしまうこともあります…)
特に母は、炊事や洗濯etc. 家のことを殆どやってくれて、娘が夜泣きした時は一緒に起きて奮闘してくれることもあり、感謝してもしきれません。
自分もこうやって、母や祖母や色んな人に支えられて育ててもらったんだな…と感慨深く思っています。
 
可愛い新生児期は今だけ。私は子供1人だけかもしれないのでもう一生この姿を見ることは出来ないかもしれません。娘の可愛さに癒されながら、育児を楽しみたいと思います。
きっとこの先も、不安が続くんだろうなと思います。
一生懸命にお乳を吸っている娘を見ながら「娘を失ったらどうしよう…」と、とてつもない恐怖や不安に襲われることもあります。
 
私の不妊治療記は一旦これにて終了です。Noteを通じて、自分と同じように悩んでいる方々と繋がれて、時にお互い励まし合いながら妊娠~出産を乗り越えることが出来て本当に良かったです。ありがとうございました。
娘の成長記録については、プライベートのインスタに綴る予定なのでnoteで公開することはあまりないかもしれませんが、
今2人目のことや凍結保存している胚盤胞のこと、職場復帰のことで色々と悩んでいるので、また登場するかもです。
 
子どもを望む全ての夫婦に、赤ちゃんが1日でも早くやってきてくれることを願います。
神様、どうかお願いします。

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