初めての妊娠・流産のお話
あなたがお腹の中にいると分かったのは、前のアパートに住んでいた時でした。
生理予定日を6日過ぎても生理が来なくて、妊娠検査薬を使ってみたところ陽性と出ました。それでも信じられなくて
2022年6月10日に病院に行ったら「袋が見えますね。おめでとうございます。良かったね」と先生に言われました。自然妊娠でした。
診察が終わり、待合室で夫にメッセージを送ったらすぐに電話が掛かってきました。病院を出て折り返したら、とても興奮して喜んでいました。
その日の夜に母にも報告したら、今までに聞いたことがないぐらい興奮していました。
翌日は建ったばかりの新居に行って、家具を組み立てている時に父に報告しました。父は「そう、それはおめでたいね…」と静かに喜んでくれました。声が少し震えていたので、感動してくれたことが伝わりました。
1週間後の6月17日、胎嚢は順調に大きくなっていました。
当時は少々ハードで、6月18日が新居への引っ越し日でした。荷造りをしたり、新居に移動して荷ほどきをしたり、お掃除をしたりと、お腹をいたわりながら目の前の仕事をこなしていました。
同時に、将来のあなたとの新居での生活にワクワクしていました。
「新居で子育てが出来るから、良かったね」と母に言われました。私は期待と希望に満ちていました。あなたがお腹の中にいて、とても幸せでした。私が母親になるなんて、昔は想像できなかったので。
早くあなたに会いたくて、たまりませんでした。周囲にも早く伝えたかったです。
一方で、引っ越しや仕事がハードな時期だったので、あなたに負担を掛けていないか、そして流産しないかとても心配していました。
仕事中にちょっとお腹が痛むことがあって、横になったり、暑さが厳しい中での出勤の時はお腹をさすったりしました。ただ、悪阻がなかったので普段通り生活してしまいました。重い物を持ったり、走ったりしないように気を付けていましたが、階段を上がったり、遅くまで起きていたりすることはありました。火照りと眠気があっても、あまり安静にはしていませんでした。
6月25日の診察で、初めて心拍が確認されました。心拍が確認できると流産する可能性は低くなると言われ、安心しました。「次の診察で問題なければ、役所に行って母子手帳を貰ってきてください」と言われました。
その時のあなたの大きさは2.8mm。毎日1mmずつ大きくなっていくはずだと言われました。安心して、すぐに母に結果を報告しました。電話口で母は泣いていました。「あなたは昔、子供が欲しくないと言っていたのに、そのようにお腹の子を愛しているのが信じられなくて嬉しい」「やっぱり自分のお腹の中で育っていく子供は可愛いし、愛おしいものよね」そんなことを言っていました。
次の週、私は帰省をして家族全員で旅行に行きました。妹夫婦も海外から一時帰国していました。みんなに妊娠していることを報告しました。みんな喜んでくれていたと思います。あなたが生まれてきて、みんなが可愛がってくれる光景が浮かんで、とても幸せな気持ちでした。
そして、自宅に戻りすぐに病院に行きました。病院に行く前に珍しく(ノンカフェインの)コーヒーをこぼして、嫌な予感がしました。
内診であなたの成長を見るのが楽しみでした。でも、先生の口からは「うーん…」という言葉が。
「何か異常がありましたか?」と私はすぐに聞きました。頭が真っ白になり、心臓がどきどきしていました。
「成長していないし、心拍も見えなくなっている」
私は息が出来なくなりました。何も考えられなくなって、現実を受け止められなくて、悪い夢の中にいるような気分になりました。放心状態のまま待合室で待機して、先生に再び呼び出されて結果を伝えられました。
「何で?嘘だよね?どうして?」心の中でずっと問いかけていました。念のため2日後にもう1回診察に来るように言われました。たまたま母がこちらに遊びに来る予定でした。
放心状態のまま病院を出ました。電車が止まるほどの大雨でした。私はとても電車に乗れなくて、夫に泣きながら結果を伝えました。夫はとてもショックを受けていました。夫と一緒にタクシーに乗って帰ることにしました。
帰りのタクシーの運転手がおしゃべりな人で、泣きたいのに泣けませんでした。挙句の果てに道に迷ってしまったので、仕方なく途中で降りて、そこから電車で最寄り駅まで帰りました。
電車を降りた瞬間、誰もいない道で思わず号泣してしまいました。夫がずっと手をつないでくれていました。家に入るとさらに号泣しました。過呼吸になるぐらい。
人生で一番泣いたと思います。全身をナイフで刺されたような気分でした。私は消えてしまいたくなりました。
私がもう少し身体を労わっていたら、安静にしていたら、あんな行動をしなければ、甲状腺のチェックをしていれば、薬を飲み忘れなければ、身体が健康だったら、若かったら…. そんな後悔ばかりが思い浮かびました。先生は初期の流産の殆どは胎児側に原因があると言いましたが、私は今でも自分のせいだと自分を責めています。
夫もたまらず、涙を流しました。2人でいっぱい泣きました。夫は私の妊娠が発覚した時からエコー写真と共に日記を書いていて、私と同じようにあなたの誕生を待ち望んでいました。その日はどう過ごしたか、あまり覚えていません。母からも結果を教えてとのメッセージが来ていましたが、とても返すことが出来ませんでした。でも母も心配しているかなと思い、深夜に涙声で電話で報告しました。母はショックを受け、泣きました。
旅行の時は、お腹の中で既に亡くなっていたんだね。
2日後に、母が来てくれました。私のためにレンタカーを借りてくれました。車で一緒に病院に行って、先生の説明を聞きました。正式に流産と告げられました。
手術の予約をして、夫と母と3人で車で帰りました。車の中でも涙が止まりませんでした。夫も母も手をぎゅっと握ってくれました。
後日妹夫婦も来て、一緒に京都等を観光しました。私はみんなが悲しい気持ちにならないように、精いっぱい明るく振舞いました。まだあなたはお腹の中にいたので、最後に一緒に楽しみたいという思いもありました。あなたが亡くなっていたことが、まだ信じられない気持ちでもありました。
そして数日後、夜中に急に痛みに襲われ、大量出血が始まりました。夜中に病院に電話したら、早朝に来てくださいと言われました。痛みで一睡もできませんでした。母と夫と猫も起きて私を心配してくれました。私は自分の痛みよりも、あなたが出ていく(離れていく)ことの方がとても悲しかった。
トイレに流すことしか出来なかったのが残念で、残酷で、辛くて、一緒に死んでしまいたい気持ちでした。
早朝に病院に行って、内診で「完全に流れたようです」と言われました。
手術予定日の1日前でした。
手術では子宮に傷がつくこともあるそうなので自然に流れていった方が良いと言われました。母は「きっと●●のことを思ってくれたのよ。親孝行な子ね…」と慰めてくれました。
母は暫く傍にいて、家事等をしてくれました。私は在宅で何とか仕事を続けていました。出社はとてもできませんでした。毎日あなたのことを思い出して、泣いてばかりいました。生きる気力もありませんでした。私のせいで亡くなったかもしれないのに、なぜ私だけが生きているのだろうと後悔と罪悪感でいっぱいでした。
7月18日、海の日にお寺で水子供養をしてもらいました。
お寺から貰った冊子を読み、お寺の温かい住職さんのお話を聞いて、徐々に心が癒されました。特に次の言葉に救われました。
あなたのことを想い、静かに手を合わせることで
胸のつかえが下りていきました。
あなたが無事に天国へ旅立ったのだと思いました。
最後に沢山の可愛いお供え物が置いてあるお堂で手を合わせて、夫と一緒に沢山泣いて別れを告げました。
あなたを無事に産んであげられなくて本当にごめんなさい。
名前も付けてあげられなくてごめんなさい。
辛いけど、私はあなたの分まで、生きていて良かったと思えるまで、
私の大切な人達や飼い猫や🌎や苦しんでいる動物達のために良いことをして、生きようと思います。
そして、あなたをいつまでも愛します。
あなたに愛情を注ぐことが、何よりの供養だから。
私を少しの間だけでもあなたの母親にしてくれてありがとう。
私を選んでくれてありがとう。
どうか安らかにお眠りください。
そして、天国でまたいつか会いましょうね。その時は、ぎゅっと抱きしめてあげたいです。
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