多様性?

多様性ってどんなものでしょうか。

今の時代、それぞれの人の違いを認めていこうという流れを感じます。例えば、人種、性別などを受け入れられる世界にしたいなどです。

人種といっても、何がオリジナルかなんて分からないですよね。元の肌の色が何色だったのか?それとも元からこの色だったのか?

これらの問題の中で、特に人種については日本人が疎く感じることがあります。(日本にはアジア人以外の人が少ないので目新しいものを警戒したりする事には納得がいきます。)

人種、とはどこからでしょうか?

日本でもよく問題になる事があったと聞いた事があります。アイヌの人々など、違う文化があって北海道に入ってきた人と一緒に生活していく事になったのにも関わらず入ってきた側が差別されていたとか。

差別というのは色だけではない。

日本人は、自分たちに人種差別は関係ないと思いがちだけど、すぐ側にあった問題で人の種類なんて数えられないほどあると私は思います。

そんなに、名前をつける事が好きですか?

白人、黒人、、、女、男。別になんだって良かったですよね?小さい頃はそんな事を気にした事なかったと思います。とりあえず、楽しければいい、生きられればいいという思いだったでしょう。

人間は不思議な生き物で、自死をする動物です。それと同時に、他の生き物のことを守ろうとします。人間は、心に余裕があって、心に余裕のない生き物です。

本当に不思議です。

余裕があって自分以外をを守ろうとし、その過程で自分の心の余裕が無くなったり、自分を見失ったりします。

見失った結果、皆特徴がなくなっているのかな。

でも、いざ自分で自由に考えて行動しろと言われた時。私は困りました。海外で学校に通うと、課題の内容など大雑把な所があり何をしたらいいのかと迷います。後で課題を見るとそれぞれの特徴が上がってきます。

私がやると、言われたことはしっかりやって他の部分は弱いものが仕上がります。それが私の特徴です。指示されることに慣れると、それに従う事にも慣れていくですね。

海外にいるからといって皆がザ・アメリカ人みたいな感じではなく、日本人的感覚を持つ人もいたり。

もともと同じ人間なんていないのに、皆同じになる様なシステムになっています(特に日本の中で)。この威圧的なシステムのその中で、世間一般的な者から離れると変な人として扱われます。

その中で、一般的と言われる、心に余裕のあると思っている人はその変な人達のことを可哀想と言ったりします。可哀想?それはその人の感覚であって、言われた方はハッピーかも知れないのに。可哀想と言っている自分がいい人なんですよね。

(まあ、それが普通です。自分は相手のことを全て理解できるわけではないし、所詮、表面しか見えません。全ての人間は自己満足で生きています。そうでなきゃ生きれません。)

今になって多様性という言葉がよく使われる様になりました。

そんな当たり前な言葉使われなかったのは、それが当たり前の事実だったからでしょう。それが、人間が動物ではなく人として生きていくようになり、みんな同じような人だと扱い易かったのか?

それはともかく、多様性という言葉には変な人と思われない程度の特徴が欲しいという意味があるのではと思います。

多様性という言葉の本質は、色んな人がいる、色んな特徴がある、色んな欠点があるということだと思います。

多様性を求める今の社会が、みんなの特徴も欠点も受け入れて指摘しない様になり、みんな自己満足な行動が出来るような優しい世の中になって欲しいです。

自分は自分。家族であっても所詮他人。自分を見失うことがないように生きていきたい。

読んでくれてありがとうございます。共感してくれた人も、しなかった人も私の考えを聞いてくれただけで嬉しいです。

いろんな人に考えを見てもらいたいです。もしよければ、共有したり、スキしてくれるととても喜びます。

Mia




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