がんばることに疲れたら白雪姫になればいい

最近色々と考えすぎてしまい、疲れている。
この、時間を差し出してお金をもらう社会人という生き方は自分に合っているのだろうか、でもお金がなければ今の生活は維持できないし、でも今のままでは時間を無駄にしているようで嫌だ、まるでバカになりそうだ…等々。

行き詰まった時、私はよくディズニーアニメを観る。
子供の頃に観た時とまた違った発見があって、ただ反復する日常の中で新鮮さを感じることができる。

今日は『白雪姫』を観た。
1937年に公開された、ディズニースタジオ初の長編アニメーションだ。

ディズニープリンセス、特に初期作のプリンセスに対しては、ただ何もせず王子様が迎えにくるのを待つだけの受動的な存在であり、男性中心主義的な偏った女性像を子供たちに植え付けるという批判がなされている。
(ネットで検索すると以下の論文がすぐに見つかる
http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/5710/1/nenpo07_p013_kamise_etal.pdf)

しかし、果たしてそうだろうか?
プリンセスは本当に何もしていないのだろうか?

差し当たり、観たばかりの白雪姫について述べてみる。
白雪姫はその美しさを継母である王女に妬まれ、殺されかける。
王女に白雪姫殺害の命令を受けた狩人は森で彼女を殺そうとするが、その可愛らしさゆえにためらい、白雪姫を森へ逃がす。
白雪姫は森を彷徨い、動物たちに導かれ7人の小人の家にたどり着く。掃除や洗濯、料理など家のことをする代わりに匿ってもらった白雪姫だが、物売りの老女に化けた王女に騙され毒リンゴを食べてしまい、永遠の眠りにつく。
白雪姫を埋葬しなかった小人たちは、彼女をガラスの棺に入れていた。その噂を聞きつけた、白雪姫と恋に落ちていた王子がやってきてキスをすると、白雪姫は眠りから覚め、王子といつまでも幸せに暮らすのだった。

このあらすじを読んで、どう思うだろうか。
かわいいだけで生きながらえて最後には王子と結婚できるなんて、ブスは死ねってか、と思うだろうか。
(おそらくブスなら王女に命を狙われることもないだろうが)

ここで考えたいのは、本当に白雪姫はかわいいだけで助かったのか、ということだ。
本作はいくつも楽しいミュージカルシーンがあるが、そのひとつに白雪姫が小人たちの家を動物たちと掃除するシーンがある。
手抜きをする動物たちをたしなめながら、白雪姫は家を片付けていく。
さらにスープまで作って、小人たちの帰りを待つ。
白雪姫の登場シーンは、彼女がぼろぼろの服を着て城に続く階段を掃除するところである。
おそらく白雪姫は継母から嫌われ、こき使われていたのだろう。そのおかげで一通りの家事がこなせるわけである。

白雪姫には、男女の性別役割分業、すなわち男性は外で働き女性は家で家事子育てをする、という社会的規範を助長するという批判がなされることがある。

確かに白雪姫は家事をして、外で働く小人たちの帰りを待つ存在として描かれる。
それは当時の社会(専業主婦家庭を可能とする中産階級にとっての社会、という点を留意すべきだろう)において、当たり前の女性像だったと思われる。
このあたり、特に下調べもなしに易々と語るには複雑すぎるのでここでは深入りしないが、とにかく、白雪姫は作品の中で、自分ができることをやっていた、ということをここでは指摘したい。

彼女にできることが家事だったから、彼女は家事をした。
そうすることで、小人たちとの距離を縮め、関係性を築き、結果的に死んでも埋葬されずに済んだのである。
小人たちが彼女を埋葬しなかったのは、もちろんその姿が美しかったからというのもあるだろうが、そこまでの展開を見るに、白雪姫との間に親密な関係を築いていたから、そのために彼女の死を受け入れられなかったから、と考えるのはそこまで不自然ではないだろう。

専業主婦として家事に従事していた女性たちが不満を持ち始め、自己実現を求めて社会進出していった時代がある。
そのような時代において、白雪姫のような家庭的でおしとやかな女性を主人公に据えた作品は、批判の対象になりうるかもしれない。

しかし、社会的環境が目まぐるしく変化するなかで、ある時代には社会を大きく変革するほどの力をもった言説が、別の時代ではそうはならないことも往々にしてあり得る。

現代は選択の時代だ。
社会進出するも、専業主婦になるも、経済的に許されるなら選択肢として枝分かれしている(経済的に許されるなら、という条件が非常に高いハードルなわけだが)。
もちろん、どのプリンセスに憧れるかということも選択的である。
白雪姫に憧れるも、アリエルに憧れるも、アナやエルサに憧れるも、全ては個人の自由である。

『白雪姫』で描かれる性別役割分業的描写を現代において否定することは、現代社会の中で専業主婦を選択した人々を否定することになる。
家庭の中でやるべきことをやっている人を、誰がどうして否定できるだろうか。

プリンセスを選択できる時代に私たちが生きていることは、先人たちの努力によってなされたことでもあり、その部分に関して敬意を表することは重要である。
その上で私たちは、ディズニークラシックのプリンセスも含めて、自分が共感できるプリンセスに出会えることを楽しんでゆけばいいのではないだろうか。

「いつか王子様が」と歌いながら、森の小屋の中で自分がやるべきことをこなした白雪姫が報われる結末が、少し疲れた私を癒してくれた夜だった。

#映画 #コラム #ディズニー #プリンセス

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