私がアナ雪を苦手な理由

私はアナ雪が苦手である。
劇場公開時に観て、その話の展開と結末に違和感を感じ、その後テレビ放映されるたびに観ているのだが、やっぱり好きになれない。
しかし、どの部分に違和感を感じているのか、これまでいまいち言語化できないでいた。

そして何度目かのテレビ放送である先日の『アナと雪の女王』を観て、やっと本作に対するもやもやが何なのかなんとなくその輪郭が掴めたので、つらつら書いてみる。

本作が素晴らしいとされる点はなんと言っても、ディズニー自ら自社が創り出してきたプリンセスイメージについて自己言及し、現代版にアップロードしている点である。
『魔法にかけられて』、『プリンセスと魔法のキス』、『塔の上のラプンツェル』など、これまでディズニープリンセスに向けられてきた主にフェミニズム的観点からの批判に応えるべく、ディズニーがプリンセスのアップロードを試みた作品およびキャラクターは存在しており、それが本作で結実したわけである。

本作がメインで扱うディズニープリンセスへの批判と、それに対する応答は以下のように言うことができる。
①王子と一目惚れで恋に落ちる
→一目惚れで恋した王子が実はヴィラン、共に旅をした一般市民とステディな関係になる
②結婚がゴール
→物語の主軸を姉妹に置くことで、姉妹の関係修復を物語の着地点とし、結婚など異性との関係の帰結をそもそも物語から除外してしまう

①について、私が最も指摘したいのは、一目惚れは映画の進行における時間の省略であるということだ。
ある男女が出会って恋に落ちる過程を全て映画の中で描くのは到底無理な話である。そして作品にとって、出会いは物語の始まりや物語を動かすきっかけにすぎない。

私の自論だが、ディズニー作品における王子は「初めて出会う他者」を象徴する記号だと考えることができる。
家や森や海に閉じ込められていた女性が外に出る→初めて出会う他者と親密になる、というのはほとんどの作品において起承転結の起なわけである。それをいちいち丁寧に書いていたらきりがないので、一目惚れという手法を脚本上とる。
それをそのまま、プリンセスは特に考えもせず王子とあらばすぐ好きになる、と読み取るのは、若い女の子は見た目やわかりやすい部分だけで簡単にくっついたり離れたりする、という意見と同じくらい女性蔑視に満ちた態度ではないだろうか。

アナ雪では一目惚れで恋に落ちたハンス王子が悪役であり、エルサ探しの旅で苦楽を共にしたクリストフがアナのパートナーとして相応しい、とされるわけだが、
アナとクリストフが共に過ごした時間も特に対して長くはないじゃないかとつっこみたくなる。
道中命の危険に晒されることが何度かあったが、それで2人の絆が深まったというならそれは心理学で有名な吊り橋効果というやつだから、一目惚れとそれほど大差ない。
アナ雪におけるアナとクリストフの出会いそして旅は、一目惚れじゃないですよ、と言うためのエクスキューズにすぎない。そしてクリストフというキャラクターも、プリンセスの脱一目惚という機能と、後述するが本作から意図的に異性愛を排除するという機能を背負わされただけのキャラクターであり、正直気の毒な役回りである。

②について、本作では「真実の愛」というプリンセスものにありがちなワードが出てくる。
真実の愛といえば、これまでのプリンセスものでは恋に落ちた男女間で芽生える愛、というヘテロセクシャルなものであることが当たり前であった。
本作ではそのあたりをポリティカルコレクトネス的に意識した結果、姉妹間の愛ということにしている。
ここの部分が個人的には最も本作を受け付けない理由なのだが、姉妹愛が真実の愛だと言われてしまうと、全く共感できないのである。

姉妹じゃなくても男兄弟はいる、とかならまだましかもしれないが、兄弟姉妹がいない人間的には、はぁ、そうですか…と言うしかない。
共感のしようがないから。

たとえヘテロセクシャルに偏っていたとしても、家族ではない、自分とは異なる他者との愛を描いてくれたなら、それは共感のしようがある。
誰にでも、社会で生きている以上、家族以外の他者との関わりがあり、他者と関係を結ぶことがあるからだ。
そしてそれは必ずしも恋愛に限る必要もない。他者とどっぷり関係性を築く関係として代表的に恋愛が挙げられるだけであって、友情とも恋愛とも言えない曖昧な関係など、この世には人の数だけ様々なグラデーションで関係性が存在するのだから。

ディズニー作品がヘテロセクシャルを真実の愛であるかのように描いたとしても、ホモセクシャルの人がそこに共感することは、自分と異なる他者との関係という点において共通しているので、可能なのではないだろうか。
要は、異性愛だろうと同性愛だろうとそこで育まれる愛に変わりはないじゃないか、ということである。

アナとエルサの関係を同性愛的に解釈する人もいるようだが、アナがハンス王子に惚れたり、何よりクリストフがいる以上、アナとエルサはあくまで姉妹として、さらに言えば家族として思いあっていると言うしかない。
そこに同性愛的関係性を見出そうとするのは、二次創作的想像力の話になってきてしまう。

昨今のディズニーは、あまりにもPC的に配慮しすぎて、映画として大切な部分を犠牲にしている気がしてならない。
最近公開された『シュガーラッシュ :オンライン』では、ラプンツェルに「強い男性に守ってもらわないと何もできないとみんなから思われてる?」という主旨の台詞を言わせている。
しかしこれまでのディズニープリンセスで、強い男性に守ってもらわないと何もできない女性はいただろうか?
各作品をきちんと観ればわかるが、そんなプリンセスは1人もいない。

PCに気を遣いすぎて自社の歴史を捻じ曲げるようなことはこれ以上してほしくない。
過去作品はそれが製作された時代の中で革新的なことをし続けており、そんな作品たちを好きで繰り返し観て育ったファンが大勢いる。
ディズニー社にはそのことに誇りを持ってほしいというのが、一ファンとしての願いである。

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