おうし座7度 サビアン
サマリア人の女性
旅人はさっきまでのことを考えながら歩いていました。水筒を取り出し、水を飲もうと口を着けたその時、
「あっ」
水筒は手から転げ落ち、残っていた水は溢れてしまいました。
――こぼしてしまった。もったいない、ごめんなさい。
――喉も渇いているのに。
旅人は心の中で言いました。
「渇き――。」
今度は小さく呟いていました。
***
「 この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」
「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい。」
新約聖書ヨハネの福音書の、サマリア人の女性とイエスキリストが言葉を交わす場面がふと思い出されました。
***
サマリア人の女性は、自分を救ってくれる救世主が来ることを知っていた。イエスは、それは自分のことだと言い、女性は人々に救世主が来たことを広めに行き、イエスの人柄に触れた人々は女性に言われたからではなく、自分でイエスが救世主と信じていく。そのきっかけの話。
井戸で水を汲んでいた女性に、器を持たないイエスが「私にも水をください」と話しかける。サマリア人とユダヤ人は宗教上、対立していて交流を持たないのに、なぜ自分に話しかけたのかと女性は問う。女性に対し、イエスは次のように答える。
「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう。」
女性はこの意味を理解できず、器を持たないあなたがどうやって深い井戸の水を汲むのか、といった主旨の質問をし、先の問答となる。
***
――サマリア人の女性は救世主を待っていた。きっとその他のイエスが救世主だと信じた人も。水を飲んでも満たされない渇きを心に抱えて。
「その渇きを満たすものはあるよ」と外側から肯定してくれる存在を待っていた。
サマリア人の女性はきっと、「そういうものは(あなたの中に)あるよ」と力強く肯定してくれる言葉・相手(イエス)を信じたいと思ったという、信じる力の比喩。
きっと、この水を汲んだ湧水のようにこんこんと澄んで流れつづけ、周りにも豊かな恵みをもたらすような、生きる糧となるような、心の中できらきらと輝きつづけるもの――。
それがイエス様のいう、「生ける水」じゃないかしら。
この問答は、きっと一人の人間の内には必ずそういうものがあるよと、力強く肯定する隠喩なんじゃないかな――。
と、旅人はこぼしてしまった水を見つめながら考えていました。
――あてどなくても、それはきっと自分にしか感じられない、自分にしか分からないものだ。あてどなくてもいい。それが知りたい。出会ってみたい。自分の中で守り育てたい。
旅人は水を汲みに公園に戻ろうかとも思いましたが、どうせならいろんなものに出会ってみたいと街の方へ歩を進めて行きました。
※
引用部分はwikisorceより
『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年
ヨハネによる福音書第4章
から引用しました。