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【雑談】生理痛が重い人は読んで欲しい話。

生理痛が悪化して、
二回くらい死にそうになった手術の話。

でも医療従事者へのリスペクトの気持ちは、
海よりも深く、山よりも高いものになった。

【子宮内膜症になるまで】

大学一年生になって一人暮らしを始めてから
生理痛が重くなった気はしたけど、
「みんなこんなもんでしょ」
なんていう安易な考えを説いてた。

まあまあ我慢できない時は病院に行って、
漢方薬をもらいながら過ごしてた。

そんな生活を続けること約一年、
遂に生理痛の重さで意識がぶっ飛ぶようになった。
さすがに再検査。笑

「子宮内膜症ですね。よくありますよ。」

治療すれば治るものらしい。
まあ生理痛重い人はザラにいるしね。という感じ。

【子宮内膜症とは】

子宮内膜症は、簡単に説明すると
生理の時に血として体外に出ていくはずの子宮内膜という組織が、
子宮以外の場所に溜まってしまうやつ。
そのせいで生理痛がひどかったらしい。
ちなみに不妊の原因にもなるやつ。

どうして子宮内膜症にかかるのかは
まだ分かってないんだって。ランダム。きついな。

【1年間、ピル治療】

その、卵巣に溜まっていった古い血の塊(嚢腫)
を小さくするためにピル治療を始めたのはいいけど、
当時呑気マンすぎた私は何回か飲むのを忘れてた。

おかげさまで、古い血は溜まる溜まる。

ピル治療とは真剣に向き合いましょう。

【巨大マックス】

ピル治療を始めて約一年後、
検診で嚢腫がビッグサイズになってることを知る。
ここで危機感を抱く。
最大辺2、3センチから約7センチへと進化。
こんなのが卵巣にあるなんてキモすぎる。

普通、子宮内膜症は6センチを超えたら手術らしい。
大学病院送りになって、去年8月に入院手術。

部屋は綺麗だし、病院食は意外と美味しいし、
ちょろいかも〜!?と思った私は頭が弱い。

【第1の死】

戦犯は、下剤。下剤なめてた。

下剤を飲む日は朝から何も食べられなくて泣いた。
お昼頃にデカイ下剤渡されて、
「夕方までに飲んでね!」と言われたけど、
まずすぎてノロノロ飲んで怒られた。

思い切って一気飲みしたあと、
かつて味わったことのないお腹の痛みが到来。

ずっとトイレ。トイレに居てもずっと痛い。
とにかく地獄を見た。マジで誇張してない。

バイト先で盲腸の手術を経験したことのある人が、
「下剤はきついよ〜笑」なんて言ってたけど、
きついよ〜笑 なんてもんじゃないわ、シンプルな死。

夜に浣腸されて、それによってだいぶ楽になった。
小学生のときに、「カンチョー!」てイタズラよくやってたけど、
カンチョーってめっちゃくちゃ神様だったんだね。

【第2の死】

次の日。
丁度、習志野高校と沖縄尚学が甲子園2回戦の試合をする頃、
手術を受けた。麻酔で眠たくなる感覚初めてで湧いた。

起きたら終わってた(そりゃそう)

この目覚めが鬼悪かった。
極寒と激痛に苛まれて人生初の大痙攣。
4人の看護師に囲まれながら
「お名前言えますか?」
と聞かれ続ける私。

これが本当に一番つらかった。
まあまあな死の手前だったので意識保つことで精一杯。
死ぬんだな。って思いながら寝ていった。

夜中に目覚めて、
下腹部にチューブが通ってるのを見てゾッとした。
スプラッター映画はよく見るけど、
自分の体にチューブがぶっ刺さってるのは
なんか見れなかった。リアルグロ耐性はゼロ。

ちなみに沖縄尚学は負けた。

【復帰】

手術のリスクは、
卵巣に嚢腫が癒着していること。
癒着していると、嚢腫を剥がした時に
卵巣も巻き込んで傷付ける可能性があるから。

その心配も無く無事に手術は終わって、
水お粥みたいなご飯も乗り越えて、
パンを食べられた時は感動した。
本当はファミチキが食べたかったので
仲良くなった看護師のお姉さんに懇願していた。懐かしい。

回復のスピードは早かったから少し早めに退院できた。

退院後すぐは傷口がまだデリケートなので、
お風呂入るのも寝る体勢も気をつけなきゃで
地味にキツかった。

健康体ほど大きな財産はねえ、と
何度も父に説いてた。

【現在】

生理が続く限り、ピルとの付き合いも続くらしい。
再発率も低くはない上に、
二度目の手術は体に負担がかかりすぎるのと、
不妊確率爆上がりなのでさらに危機感を持つべきだと。

今はまた少し2センチほどの嚢腫があるけど、
治療で治るやつ。
再発させないために頑張ってます。

おわり。

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