見知らぬ人も誰かに愛されている人間なんだ。
「私なんか」って言う人が嫌いだった。
だから、自分も絶対にそういう言葉は口に出さないようにしようと思っていた。
でも、言葉にはしていないだけで、実は自己否定感が強い自分に気がつく。
特に、見知らぬ人たちの群れの中にいるとき。たとえば混んだ電車の中とか、独りで外食に来ているとき。そんなとき私は、なるべく身を小さくして、ここにいないふりをしている。
私はここにいてもいいのだろうか?
誰かの邪魔になっていないだろうか?
今、舌打ちしたこの人は、私を邪魔に感じているの?
ごめんなさい、こんなに大きな荷物を持っていてごめんなさい。
ここにいてごめんなさい。
存在していてごめんなさい。
消えてしまいたい。
そんなふうに思う反動なのか、まったく逆の精神状態になることもある。
すべての人間が邪魔だ。
おれに近づかないでくれ。
おれの場所を侵すんじゃない。
どけ、どけ、どけ、どくんだ、おれの前に現れるな!
消してやりたい。
みんなみんな、何もかも。
どちらの場合でも、私には周りの人の顔は見えていない。自分の喉がつぶれてしまったかのように、声を出すこともできない。ただおびえた動物のように周りを警戒している。毛並みを逆立てるみたいに。
だから私は、人混みの中に自分を置かないようにしていた。人が集まるイベントにも。
でも、これには解決方法がある。
まず、周りの見知らぬ人たちの顔をちゃんと見ること。
その人たちがそれぞれの人生を持っていて、誰かに愛されている人間なのだと理解すること。伝えたいことがあるなら、ちゃんと言葉に出せば伝わるのだと思い出すこと。
私は、恐ろしい人間たちに囲まれて、必死に威嚇をしなくてはいけない動物ではないのだ。同じ人間という生き物なのだ。
だから大丈夫。恐くない。
顔を見上げれば、世界は愛で満ちている。
人混みの中にいる知らないその人もあの人も、幸せそうに笑っているのだ。