淋しい気持ちと安心な場所
「さみしくて誰かと一緒にいたい」という気持ちになった事がほとんどない。
家族や友達と一緒に居ることが嫌なわけではないけれど、ずっと一緒にいて、一緒に何かをしなければなりませんってなると困る。
家族の場合、同じ空間にいて
それぞれやりたいことをするのがベスト。
夫はどちらかと言うと【一家団欒】にとらわれているタイプ、自分が今の娘と同じくらいの頃
部活にのめり込んで母親から「家族旅行にも行けない」と言われたことに引っかかってるみたい。
その義母も夫が小学生だった時、とくにどこかへ連れて行くわけでもなく、いざ子どもが親離れするとなった時に慌ててそういう発言になったっぽいけど(確認はしていないので私の想像)
中学生になって自分の好きなことが見つかって、1人でどこまでも進んでいくのってすごくいい事だと思うんですけどね、なんか焦ってしまったのかな。
母からの一言が引っかかっている夫は、自分が言われて嫌だったにもかかわらず、団欒にこだわり、部屋にこもっている娘にむやみに声をかけてウザがられる負のループ。
こもってるとは言ったって、ご飯は一緒に食べるし、声かけたら返事はするし、自分の好きな物の話はしてくれるしで、部屋で一人で過ごしていることについては心配ではない。
ちがう、この話をしたいわけではない。
なんで私がさみしくないのか、少し考えてみた。
個人の特性のほかに、絶対的に安心できる場所(実家)があり、普段は独立して暮らしていて、連絡も特別な用事がなければしないけれど絶対的に肯定してくれる家族(両親と妹)がいて、なぜかそれを疑いもなく信じているから、ではないかと思う。
なぜ疑わずに信じられるかは、もっと考えてみないとわからない。
また別に書きたい気もする。
(私は娘にとってこういう存在になりたい、なれてたらいいな、なれてる?まだ間に合うの?)
背中を圧倒的な力で守られている感じ。
前だけ見てれば良いんだよって。
守ってくれてるのは【サモトラケのニケ】かも、なぜか理由もなく大好きな彫刻