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もう死んでんの


人の身勝手な仕草言葉遣い生活音に死を感じ
建前と制約で歪んだマスコミしか頼れない生活に思考を遺棄し
形成主義の男女社会では食欲にも依存できない
そもそも元を辿れば
ずっと苦痛のなか生きてきたのに
自分なんて持たせてもらえなかったのに
そんな人間はこの他罰的な人間しかいない国の檻で苦痛なく生きれる訳がねぇじゃねぇか
弱者であればそれはただの弱者
生き地獄だの騒げば精神異常者か
黙って家に篭れば触らぬ神か
大人になって過去を脱ぎ捨てる時間すら
誰一人として喜んではくれない、自分すら
こんなはずじゃなかったと自分より先に吐き捨てる絶対的存在を前に自分は
ただその逆を立証するために、皮を剥ぐ
もうすでに息途絶えて、姿などない本当の自分に吸い寄せられる死者のように


心が折れるとき、こんなことを思う。
クソみたいな奴はただそいつがクソなだけで、全ての自分におけることは自分の責任なのだから、それはクソなやつも同じだ、クソみたいなことをするクソ自身の責任だ、という私論に、自分が信頼していないのを感じる。真面目にそう思うけれども。

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