塾講師時代の話

どうも、どうも水トです。
3回目の初投稿です。

京都の大学に通っていた時、バイトをしていました。
工場で一生野菜切り続けたり、トマトをパック詰めしていたときは気が狂うかと思いました。誰とも会話することなく、淡々とやり続けるのは、向いていなかったようです。飲食店でもアルバイトをしていました。それなりに楽しく、まかないもおいしかったです(まかないありバイトは本当に大学生にとってはめちゃくちゃ重要ですよね)。塾講師でもアルバイトをしていました。今日はそのときの話をしてみます。

当時、勤務していた塾は、教師1対生徒2の個別指導をしていました。この2人の生徒は、全然違う学校だったり、学年だったりするわけです。なので、高校生の隣で小学生を教えるなんてこともあります。

授業用のブースに授業開始5分前くらいには座って、内容の確認や保護者への指導報告書の準備をしておくのが自分のルーティンでした。ある日、高校2年生の古典の授業で漢文を扱っていました。生徒がトイレに行っている間、隣で指導していた小学6年生の子が、何となく高校生の教科書を覗いているわけです。
「気になる?これ、漢文と言って、中国の昔の文章なんだよ。〇〇さんも、高校生になったらこれ勉強するんだよ。」
「ふーん。」という、とりあえずの返事の次に、
「なんでそんなの勉強するんですか?」と言われました。
断りを入れておくと、この小学生の生徒ですが、成績は優秀で、宿題もしっかりやってきます。また、中学受験をしたいと自分から言っており、意欲もあります。決して消極的な意味ではなくて、生徒の純粋な疑問が「なんで?」という言葉だったと思います。

当時20歳で、塾講師経験も浅かった自分は答えに困ってしまいました。「そうだなあ。」なんて言いながら、自分の中で答えを探していきます。「例えば、これは中国の昔の文章だけど、日本人が読めるように、日本風の読み方をしているんだよね。そういった日本風の読み方をするのを仕事にしている人もいるんだよね。これを研究している人だっている。そういった色んなことを仕事にしていくために勉強って必要なことなんだよ。」
それっぽい言葉を並べても、結局それっぽいに留まることにしかならないのだな、と再び「ふーん。」というとりあえずの返事をした小6の生徒に感じました。

教育関係で話を聞くときに、ありがちなのが「誤魔化す」ことです。しかし、「子どもだから説明しても分からないだろう。」「そんなことを言ってもしょうがないだろう。」というこちらの考えは、子どもたちには伝わります。だから、上辺の言葉しか出てこなかったことが、悔しく、同時にその生徒に申し訳なさがこみ上げてきました。私が、教育関係に興味を持った一つのターニングポイントです。
当時の年齢から考えると、高校を卒業している生徒。漢文に触れることもめっきりなくなってしまったんだろうな。今は何をしているんだろうか。どんな人生を歩んでいるんだろうか。ぼんやりと思い出してしまう時があります。

もし、過去に戻って同じような場面があれば、こう答えると思います。

「学校で習う勉強って、一見難しいけど、考えれば理解できるように作られているんだよ。でも、多くの人は面倒だから考えない。つまり理解しようとしない。そうすると、理解した先にある勉強の面白さとかも気づけない。だから余計に考えることが、面倒になっちゃうんだよね。でも、そういう考えるのが面倒な人って騙しやすいんだよね。この騙すっていうのは、スポーツとかゲームで相手の裏をかくってこと。騙す人が悪いこともあるんだけど、人を騙すとお金をゲットできたり、得しやすいんだよね。で、学校では、日本の作品だけじゃなくて、その日本の作品が影響を受けたとされる中国の昔の文章も扱うの。勉強を通して、『この漢文の読み方って、どんな読み方があるんだろう、どんなルールがあるんだろう。』『このお話を学ぶことで自分の人生に活かせることって何だろう。』『何が、当時の日本人の心に刺さったんだろう。』って考えられる人は、騙されにくいだろうし、いろんな人に頼られる。そんな素敵な大人になるための訓練のために勉強するんだと思う。だから、この漢文を学校でやるときは、『あーあんなこと言ってた先生もいたなー』とか言って思い出してくれると嬉しいな。」

まだまだ完璧じゃないと思います。きっと同じように「ふーん。」と言われるんだと思います。それでも、当時から5年以上、いろんな経験をして今があります。自分の考え方も、今後少しでもアップデートしてくれたらなーとか思いつつ今日もスプラトゥーンしていきたいと思います。


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