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「映える」ってなんなん?って話。

「こんなところで映えを意識するってどーなん?これって普通なん?(怒)」


先日、友人と話したときに話題に持ち上がった「映えるってなに?」トーク。
もちろん、「インスタ映え」などの意味合いがあることを私たちは知っている。

撮った写真や動画が、他の人から高い評価がもらえたり、
撮影し甲斐のある被写体をキレイに撮れたりしたら、
「めっちゃ映えてるやん!」ってアラフォーだってテンションは上がるもの。

さて、では友人はなぜ少しお怒り気味だったのか?
経緯こうだ。




友人の職場に中学生が職場体験しに来たらしい。
関西のとある地域ではこれを「トライやるウィーク」と呼ぶ。

わたしも前職で受け入れた経験がある。
中学生を数名受け入れるにあたりまえもって準備をする、
色んな案を出し合う、
そのために人員も確保する。

もちろんすべては、中学生たちにより良い職場体験を経験してもらうため。


友人の職場は、市場に付随している水産加工場。
天候や魚の入り具合などイレギュラーなこともある。
もちろんそれは日常茶飯事。

そのような職場でも、中学生のために毎年さまざまな試行錯誤を重ねて数名を受け入れているのである。


そんなある日、トライやるウィーク中に担任の先生が訪ねてきた。

その時中学生たちは、少々地味な作業をしている時だった。
地味な作業だといっても、それは毎日行う大切な仕事。
(確か、市場でなにかの荷物を運ぶ?だと記憶している)


その作業を体験することで、中学生たちになにか感じることがあればな~」という想いがあって、彼らにお願いしたのだという。


職場に来た担任の先生は、生徒たちが頑張っている姿をどうしても写真におさめたかったらしい。

友人は「隠し撮りするように、そ~っと彼らの頑張りを撮ればいいのでは?」
思ったが、先生の行動は衝撃的なものだった。

まず、作業している生徒に向けてシャッターを切ったあと、
「まったく映えない写真やな。」と言い放った。

その後、生徒たちに
「ちょっとその作業じゃなくて、市場らしく魚とか持ってみてよ~」
と言った。

生徒たちの近くに魚はなく、「どうしようかな?」という空気が流れる。

それを感じた友人は「魚を素手で持つのはあまり良くないのでダメなんです。」と言った。

すると先生はこう言う。
魚があれば映えるんですけどね~。
じゃあ1度手をとめて、みんなピースして~」

・・・。

生徒たち「ピース!!」

先生「うん!ちゃんと映えてる写真も撮れたし、これでOK!みんな、ちゃんとお仕事頑張るんだよ~」

そう言いながら、
「生徒たちをよろしくお願いします。」
と言って、帰っていった。




「ねぇ、何しに来たんやと思う?映える写真を撮るため?」
友人はわたしに聞く。

・職場体験の写真でも映えは必要?
・作業止めてまで映えって大事?
・人の仕事映えないって言いたいの?

ツッコミどころが多い以上に、
わたしにも衝撃が走った。

「映える」

今は写真や動画の時代という人もいる。
一次情報が響く時代でもある。

それは、分かる。
でも、職場体験って本来映えるようなものなのか?と思うと、
それは違うと感じた。

どうせなら撮るなら、
生徒たちが黙々と取り組む一生懸命な姿とか、
達成感を感じて微笑んでいるとか。

あえて「映える」を意識するならば、
そういう写真を撮る法がちゃんとした「映える」なのでは?と。




けど友人は、思い出し怒りがおさまったあとこうも言った。

「実は、体育会系の中学生の中にちょっとヒョロリとした子がいて。
他の子はわ~きゃ~言ってる中、その子だけは淡々と取り組んでいて、『あんまり面白くないかな?』って思ってたんだよね。

けど、トライやるウィーク終わったあとにお父さんが職場に来られて、
『うちの子は、こちらでのトライやるウィークの内容を毎日聞かせてくれまして。〇〇って、こうなんやで!〇〇は大変やけどぼくは楽しいと思った! とか。子どもにとっていい経験をさせてもらって感謝です。』って。

映える、映えん関係なく、
中学生たちが個々になにか感じてくれたならそれで良いと思ったわ。」



怒りのあとに、いい話として締めくくった友人。

めっちゃいい顔してた!

わたしにとって本当の「映える」って何なんやろな?と考えるきっかけになったので、感謝だな~っていう話。

写真を撮るときは、あえて映えを意識しないことも大切だと感じた。



おしま~い!



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