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「3年生にとっては高校野球の卒業式」という言葉

お盆も過ぎ、夏の終わりに差し掛かっている。

例年なら今頃は甲子園の決勝を迎える時期だが、今年はそれもない。
その代わり春の選抜中止を受けて「甲子園交流試合」が6日間にわたり開催された。

交流試合の最終日、最後の試合で山梨学院の監督の「3年生にとっては高校野球の卒業式」という言葉が今も印象に残っている。

本来なら甲子園という大切な切符をかけて試合を勝ち抜き、たくさんの応援やブラスバンドの音色を一身に受けながら、試合を通して今までの練習の成果を披露する。一日でも長く野球がしたいと願う全力プレーは全国の高校野球ファンや地元の方々を元気づけてくれる。

高校時代、弱いながらも野球部のマネージャーに携わっていた身として、どうしても彼らに感情移入をしてしまう。わたしだったら喪失感で苦しんでいるかもしれない。
けれど彼らは悩みながらもしっかりと前を向いて、今の自分のために、そして未来の自分のために、独自大会や交流試合に全力を注いでいる。

そうか。これは彼らにとっての卒業式なのか。
なぜかわたしの方がモヤモヤしていたのだが、卒業式と言う言葉で自分の気持ちもすっきり晴れた。
どうかいい思い出としてこの卒業式の記憶を胸に、前に進んでほしいな。

幼い頃から野球を観てきたが、現地で応援できることがこんなに尊いことだとは思っていなかった。応援の力で試合の空気が変わることがある。特に高校野球はそれが顕著だと思う(いいか悪いかの議論はまた別の話として)。

今年はリモート応援をしている高校もあり、私たちはネットとテレビを駆使して両方楽しむことができた。けれども本来届くはずの、心から届いてほしい球児たちには、なんらかの形で届いたのだろうか。
どうか、彼らに届いていますように。そして、またいつもどおりの景色で甲子園が開催できますように。そのときはたくさん甲子園球場に足を運んで、現地で球児たちを応援したい。


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