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愛が重い分何度も傷付く「言葉」という存在

自分が何か発したそばからその言葉を反芻し自己批評会が始まる。
意識の矢印が、発言に自分に向きすぎている。
あの時の言葉選び、声色、言い方……
それらのことしか考えられなくなる。

人と会話がしたいけど、自分の言葉を発信したいけど、いつだって自分の発言には後悔がつきまとう。
誰も気にしてないかもしれない自分の言葉を、自分だけが重く見すぎている。

なんとなくで言葉を吐けないタイプだ。
だからって本当のことや本音を言えるかといったら、そうではない。
どちらも切実に存在しているため、お世辞もちょっとの嘘も責任を持って発している。
そうでないと、後で思い返した時に苦しむことを知っているからだ。

人と話したくて会う、ネットに繋がる。
最中は楽しいし充実している。
でも終わって1人になると絶対に後悔する。
100%満足する会話なんてどこにもないのに。

何を求めてる?何を目指してる?

誰かの言葉にも自分の言葉にもずっと傷つき続けている。

言葉が好きだ。言葉が大事だ。
でも言葉がなかったら、
もっと楽に生きられたかもしれない。



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