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TRPGと僕。

 僕は子供の頃ゲームに熱中していましたが、コンピュータゲームだけでなく、TRPGも大好きでした。その思い出と、これまでのTRPG経験と、最近、今後のTRPGについてnoteにまとめておこうと思います。


小学生~中学生時代

 子供の頃は、ドラクエやFFに熱中していた。普通のRPG好きな子供だった。友達も、そういう子供が多かった。娯楽の王様はドラクエだったのだ。
 小学5年になったある日、同じクラスの女の子が、「これをやりたいから憶えてほしい」と、文庫本を3冊渡してきた。それが、「ソード・ワールドRPG」のルールブックと、上級ルールブック1と、リプレイ1「盗賊たちの狂詩曲」だったのだ。どうして僕が選ばれたのかは定かではないのだが、おそらくクラスの中ではドラクエやFFに精通していたからだと思う。仲も結構良かったし。

 しかし僕はTRPGなんて知らなかった。活字だけの本を読むのも、ドラクエの小説(久美沙織の)くらいだったので、まず読むのが大変だった。それに、ルールブックを知っている人はわかると思うが、遊び方なんて書いていないのだ。世界観の説明が序盤はかなり書き込まれている。その後、キャラメイク、戦闘ルールと続いていく。これで遊ぶのは、無理だと思った。そこで参考になったのは、やはりリプレイだ。遊んでいる風景が書いてある。このように遊べばよいのだ、とわかったのだ。会話とサイコロでゲームが進む。シナリオはゲームマスターが作成し、判定なども行う。そう、僕がゲームマスターを依頼されたのだ。こういうのって、後で知ったんだが、やろうと言い出した人が大体GMやることが多いのにね。遊んだメンバーは、その女の子の友人グループである4人の女の子と、その弟と、僕と、もうひとりの男子だった。だから、本当に最初の頃は、TRPGって女の子が遊ぶものだと思っていたのだ。後にそんなわけないと思い知ることになるが。
 最初に作ったシナリオは稚拙だった。そりゃそうだろう。何もわからないのだ。それがすぐ終わった後に、戦闘の慣れを目的に、武道会みたいな戦闘オンリーのシナリオで遊んだことも憶えている。そちらのほうが盛り上がった。みんなTRPGを知らないのだから、サイコロを振っている方が楽しかったのだ。

 でも、TRPGは面白い、ということがわかった。最初の頃は、月に1回くらい、土曜日に遊んでいた。そうしているうち、リプレイが次々に発刊された。シナリオ集なんかも出てきた。全部文庫本だったから、お小遣いの少ない僕でも入手することができた……というか、本に関してはほとんど何も言わず買ってくれる家庭だった。環境が充実してくると、どんどんRPGへの理解も深まる。遊びもだんだんこなれてくる。キャンペーンシナリオも始めるようになった。
 コンピュータRPGと違ってなんでも出来るのだ、と思った。あらかじめ用意されたストーリーに沿って動く必要なんてない。シナリオの解法だっていくらでもある。キャラメイクもそうだ。スキルを取って自分なりにキャラを作り上げていくのは、ドラクエなどのクラス制とは異なった自由度を持っていた(余談だが、日本で最初に流行ったTRPGがソード・ワールドで、クラス制じゃなかったのがその後のTRPGの発展の妨げとなった、という言を見たこともあるが)。ストーリーも、世界を救う話なんかじゃなくて、もっと現実的で地に足のついた話でも良かった。
 それが昂じて、ドラゴンマガジンを買うようになった。「やっぱりRPGが好き!」というRPGのコラムがあって、それにはTRPGの遊び方や、名作をRPG化する、シナリオ作成のノウハウなどが載っていて、とても参考になった。ソード・ワールドだけじゃなく、モンスターメーカーRPGなんかも遊んでみたこともあった。RPGは書店で買うものであって、D&Dなどは全然知らなかった。

 この頃には、自分たちで遊んだセッションを録音して、ワープロで打ち込んでリプレイを作成し、みんなで回覧したりもしていた。僕の家には「書院」というワープロがあったのだ。使い方はすぐ憶えた。みんな喜んで読んでくれるから、深夜までテープ起こしをやっていた。深夜ラジオなどを聞くようになったのもこの頃から。魍魎戦記MADARA2のCMが流れていたのをよく憶えている。もうこの頃のテープはないのだが、昔聞き返したとき、声変わり前の自分の声もあったから驚いた。キャラクター名なんかも結構憶えている。
 中学生になったとき、一緒に遊んでいた男子が転校していった。メンバーを追加して遊んだりもしたが、あまり定着しなかった。でも、僕らは遊ぶことを続けた。日曜日の午前中は部活だったので、午後から集まることが多かった。ゲームマスターを僕じゃない子が担当するようにもなった。でも、いつまでも続けてはいられなかったのだ。進学である。

高校生時代

 中学生のときに遊んでいたメンバーは、進路がみんな異なり、集まることが難しくなった。僕は男子校だったし。それでも何回か、どうにかして予定を合わせて遊んだ。合コン的に高校の同級生と引き合わせるようなTRPGのセッションを組んだこともあった。上手くは行かなかったが。
 でも、新たな出会いがあった。僕と同じ部活の中に、TRPG好きな人物がいたのだ。彼に引き合わされて、彼の中学校のメンバーとまざってTRPGを遊ぶことが増えた。彼らは本格的だった。金のあるメンバーがいたので、D&Dの赤箱を持っていたり、富士見や角川スニーカーのラノベを発刊されるものをことごとく集めていた。メンバーも10人以上いて、ちょっとしたコンベンションみたいな事ができた。すぐに僕らは友だちになった。彼らの中心的なメンバーは科学部が多かったので、何故か僕も科学部の準レギュラー的な扱いをされた(卒業制作にも参加させられた)。
 先日ミニ四駆の話をnoteに書いたとき、セキヤという模型屋にTRPGがあるという話をした。この店にTRPGがあるというのも、新たな友人から得た話だった。

 セキヤにはなんでもあった。ロードス島コンパニオン、T&T、マギウスなど、新しいシステムを僕も買うようになった。そのうちに、僕らの部内にも他にRPG好きがいることがわかり、部内でもメンバーを集めてRPGをするようになった。修学旅行の新幹線の中で、T&Tを遊んでいた思い出はある。ファンタジーが大好きだったから、ウィーンに旅行に行ったとき、お城などのファンタジー的なところの写真を熱心に撮ったり。でも、部活と遊びが忙しく、RPGは頻度はそんなでもなかったが。一部のメンバーはマジック・ザ・ギャザリングに傾倒し、また他のメンバーはモンコレにハマっていったなんてこともあった。県内随一の進学校の割に、遊んでたよな。

大学生になると

 田舎から出て、関東の大学に進学したので、メンバーとはほとんど縁が切れてしまった。でも、休みのたびに、メンバー(部活のね)の家に集まって遊ぶことが定例化していたので、そのときにTRPGをやることがよくあった。あと、科学部のメンバーのひとりはDTMをやっていたので、僕とコンビを組んで、DTMでサークルを組んでコミケによくサークル参加した。録音やミキシングは相方の家(仙台)でやって、車でビッグサイトまで行ってね。懐かしいなあ。
 大学で、TRPGサークルを見に行ったこともある。見学会があったのだが、3年生の男性が2人と、女性がひとり。それと、新入生の僕を含む3人だけの会合だった。歓迎セッションとして、ソード・ワールドRPGを遊んだ。途中で教室を出ないといけなくなり、僕のアパートで続きを遊んだ。でも、それだけで、サークルに入ることはなかった。

その後

 大学院に上がる頃、Role&Rollという雑誌が創刊された。久々に、TRPGが表に出てきたのだ。同時期に、ソード・ワールドが、へっぽこ冒険者というシリーズのリプレイをきっかけに盛り上がりを見せる。遊ぶ機会はないかな、と思いつつも、書籍だけは買っていた。
 社会人になって、ある時、コンベンションに参加してみようと思った。Role&Rollに記事を書いていた小林正親さん主催で、モンスターメーカーRPGが復刻される記念のコンベンションをやるという。恐る恐る参加した。コンベンションは、というか知らない人とのセッションは初めてだったのだ。僕の卓は鈴木銀一郎先生(!)がGMだった。僕のキャラはロリエーンだった。僕のロリエーンは、モンスターに乗って「薙ぎ払え!」とかやっていた。怖い物知らずだったかもしれない。銀一郎先生も笑っていたから良しとしよう。
 それからコンベンションに参加するようになった。カオスフレアでトランプを飛ばしまくったり、F.E.A.R.のコンベンションでクレバー矢野先生の卓でダブルクロスを遊んだり。また、小林正親さんのコミュニティになんとなく参加するようになって、プライベートな感じでセッションに参加する事もあった。セッションの後飲んでいたら、会社から電話がかかってきて朝まで仕事をしたこともあった。

 ……それから20年近く経った。迷宮キングダムのルールブックやリプレイ、Role&Rollなんかは買っていたが、結婚してからというもの全く遊ばなくなった。そんな気も出てこなくなった。年を取るとなかなか腰が重いのだ。そして、いよいよ創刊から買っていたRole&Rollも買うのをやめた。200号くらい。コロナもあって、実家に帰省したときに友人が集まって遊ぶ、ということができなくなったのも大きかった。
 今、ニコニコ動画やYouTubeで、RPGのプレイ風景を配信したり編集したものを上げる人が多いようだ。僕は見たことはないが。それで、クトゥルフなどのプレイ人口が増えているらしい。それは素晴らしいことだ。なんというか、TRPGってこういう遊びだよね、っていう思い込みが、いつしか醸成されていたかもしれない。そんなことはなく、常に新しい。
 なんかTwitterで、震災の時の避難グッズにメモ帳を入れておくと、遊べていいよ、って話があった。TRPGのルールブックを入れておくとなお良いと思う。無限に遊べるのだ。

 僕の青春の一部として、確かにTRPGが残っている。こんなに自由で、想像力だけですべてが賄えて、創造力が尽きない限りずっと遊んでいられるゲームがあったのだ。いや、今でもあるのだ。

 小学生の時、僕にソード・ワールドRPGのルールブックを差し出した子は、高校で不登校になり、やがてネットゲーの住人となり、ネットゲーで知り合った人と結婚した、という話を何処かからか聞いた。さもありなんという話である。

堕落する準備はOK?