出来るかぎり、愛を持って 【デンマーク記:メンタル】
デンマーク発祥の民主主義思想を育む、通称大人の学校「フォルケフォイスコーレ」に来て、約2ヶ月が経つ。
このセメスターは4ヶ月だから、ちょうど折り返し地点にいるところだ。
共同生活にもかなり慣れて来た。
約60人の生徒や先生は、みんな本当にあたたかくて愛おしい。
デンマーク人の感情に対するオープンさ
そんなみんなの様子は、毎日日によって大きく変わるということに最近気づき始めた。
肌の色からバックグラウンドまで違いすぎる約60人が突然出会い、人生や社会について真剣に話し合い、一緒に暮らしてる。
色んなことが起きては、皆色んなことを考えていると思う。
約2ヶ月前、この生活が始まって一週間くらい経った頃だった
「ADHD」「自閉症」などという言葉を多く聞くようになって
「あの子も」「私も」って具合に、親しくなりつつあったデンマーク人の友達は大体がそういったメンタルに関する事情があることを知った。
デンマーク人にとっては、メンタルケアという目的でここに来ている人も少なくない。
そしてネガティブな感情があると、一目でわかるほどデンマーク人は自身の感情表現を拒まないし、かなりオープンだと感じる。
一方で自分は、特にネガティブな感情を人に見せるのは極力避けてきた。
それはきっと「人に迷惑をかけるな」という日本の文化的な価値観が、しっかり備わっているからだと思う。
「ADHD」が身近にあるということ
先日、バイクで日本一周に挑戦していた22歳の日本人男性が、一周を達成した次の日に自死したと耳にした。
SNSを通じ、多くの人から応援されていた方だが、
最後の投稿は「ADHD」の診断書の写真とともにこの世に別れを告げていた。
何が大きな原因だったかはわからないし、わかろうとするのもおこがましいと思う。
だけど少なくとも、「ADHD」という共通点に着目するならば、このデンマーク生活にも身近にあるものである。
日本にいるときは、あまり身近に感じなかったが、もしかしたらすでに周りにあったのかもしれない。
自分が、ということも今後あり得なくもない。
今の時代よく耳にする「ADHD」を今ここでやっと、強く意識するようになった。
人としてどうありたいか
例えば原因が分からず落ち込んでる友人に対して、どんな接し方をすればいいかわからない。
どういった声かけや態度が少しでもよりよくなるか、毎度毎度注意深く考えて
何もできない自分に落胆したりする。
でも、やっぱり何が正解かはわからないし、正解はきっとない。
ただ一つ、できることがあるとするならば、とにかくどんなときでも、愛のある言動をしていたいし、そうできていることを心から願う。
目の前にいる人が、どういう心理状況か目では見えない。
笑って見える人が、ものすごく辛い状況にいる場合は沢山ある。
もしかしたら、自分の言葉が誰かにとって鋭いナイフになるかもしれないから。
この学校には、そんな痛みに比較的敏感で、乗り越えてきた人が多いから、
人にあたたかく、寄り添える人が多いんだと思う。
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